大リーグ歴代最多の通算1406盗塁、2295得点をマークし「史上最高の1番打者」と称されたリッキー・ヘンダーソンさんが20日(日本時間21日)、死去した。65歳。イリノイ州シカゴ出身。長く在籍したアスレチックスなどが追悼の声明を発表。死因は明らかにされていない。
76年ドラフト4巡目でア軍入団。79年にメジャーデビューし、異色の左投げ右打ちの外野手として活躍した。80年から7年連続を含む計12度の盗塁王。82年には1901年以降の近代野球では最多となるシーズン130盗塁をマーク。90年には打率・325、28本塁打、61打点、65盗塁でア・リーグMVPを獲得した。
93年には阪急・福本豊が持っていた通算1065盗塁を破り、世界記録となる1406盗塁まで積み上げた。先頭打者本塁打81本も大リーグ記録で、86年にマークしたシーズン13度の同一試合での「本塁打&盗塁」も、今季ドジャース・大谷が16度で破るまではメジャー最多記録だった。
計9球団で25年間プレーし、44歳だった03年にド軍で現役引退。09年に米野球殿堂入りした際、ア軍で着用した背番号24が永久欠番となった。ロブ・マンフレッド・コミッショナーは「何世代にもわたる野球ファンにとってヘンダーソンは盗塁と1番打者の金字塔だった」と追悼した。
《1065盗塁の福本豊氏も追悼》福本豊氏は「体は大きくないが、足の馬力が半端なかった。大谷選手の50―50などで再び盗塁に注目が集まっているので、彼の功績を思い出してもらえたらうれしい。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。93年6月16日、オークランドでのホワイトソックス戦で始球式を務め、試合前に金色のスパイクを贈ると、その試合でヘンダーソンさんが自身の1065盗塁を抜く二盗に成功。お礼に二塁ベースにサインを添えて贈られ「今になって米国から返してほしいと言われるんじゃないかと思っている」と回想した。