日本ハム、阪神などで活躍した下柳剛氏(56)が古田敦也氏(59)のYouTube「フルタの方程式」に出演。ダイエー(現ソフトバンク)時代に出会った“最恐”助っ人の思い出を明かした。
メジャー本塁打&打点王のケビン・ミッチェルが1995年にダイエー入り。開幕戦の初打席で満塁弾を放つ鮮烈なデビューを果たした。
下柳氏は「彼が出た試合は7割くらい勝っていた」と、バットを持てば最強助っ人だった。
だが、一筋縄ではいかない超大物だ。
下柳氏は試合後のお風呂でミッチェルに遭遇。背中を見ると映画で見たような傷がある。
「その傷どうした?」と聞くと、なんと「ピストルで撃たれた」という。
サンディエゴでギャングだった子供の頃、後ろから撃たれた。ただ撃たれただけはない。その後、「マシンガンで撃ち返した」と平然と言ってのけた。
下柳氏でさえ「こいつは怖え~」とビビった最恐助っ人。
野球でも37試合で8本塁打28打点と大暴れしていたが、シーズン中、ある日突然に「ミッチェルがいない」「米国に帰った」と嵐のように去ってしまった。