元楽天監督の平石洋介さん(44)が26日に放送されたBSジャパネクストの野球トークバラエティー「ダグアウト!!!」(木曜後10・00)にゲスト出演。今は亡き闘将、星野仙一さん(2018年1月に70歳で死去)への思いを語った。
「尊敬する監督・コーチ」というトークテーマになった時だった。
アマチュア時代についてはPL学園時代のコーチだった清水孝悦さんの名前を挙げた平石さん。「野球人としてもそうですし、人として、男として。いろんな意味での影響力を受けました」とし、同志社大に進学したのも同大出身だった清水コーチの影響だとした。
プロでは星野さんに心酔。出会いは2011年で、星野さんが楽天監督に就任した1年目、そして東日本大震災が起きた年だった。平石さんは同年限りで現役を引退して指導者に。2013年には星野監督のもと1軍打撃コーチを務めることになった。
そして、ある試合で、星野監督が送りバント要員としてある選手に代打の準備をさせろと平石コーチに指示。だが、その選手は一見器用そうに見えるものの実はバントが得意ではないことを日頃の練習を見て知っていた平石さんは、別の選手を起用したほうがいいと思ったという。
平石さんがここで代打に推薦したい選手は足のスペシャリスト。試合終盤の大事なところで代走に使いたいと星野監督が思っている可能性もあった。
それでも「控え選手で彼が一番バントがうまい」との思いが強い平石さんは意を決して「監督。終盤の代走、誰々(その選手の名前)必要ですか?必要なら仕方ないんですけど、このバントが本当に大事なんであれば彼がいいです。僕、彼とやったら心中できます」と提案。「言ったはいいものの、こっちは手汗凄くてもう。手汗から脇汗から足の裏まで全身…」と冷や汗ものの進言だった。
だが、星野監督は「分かった。行かせぃ」と平石コーチの提案を採用。その選手は見事に送りバントを決めてくれたという。
「そこから多分ですね…星野さんが今まで以上にいっぱい誘っていただいて。メシいくぞとかいろんなことをしていただいたんですけども、その一件以来なんですよね、振り返ってみれば。なので、いうの勇気いりましたけど…」と平石さん。
「もしかしたら星野さんじゃなかったら僕は指導者にもなっていないかもしれないし、そうだったら楽天の監督もやることはなく。今までホークス、ライオンズ(でコーチ)って道は多分なかったんじゃないかなと思いますんで」とし、星野監督から学んだことは「監督って決断じゃないですか。迷う姿を絶対見せない。絶対迷うんですよね。でも、コーチに言われて“うん?”と思ったとしても絶対にそんな姿は見せない。それだけは絶対あかんと思って…」と話していた。