歌舞伎俳優の尾上菊之助(47)が本紙のインタビューに応じた。5、6月に歌舞伎座で、八代目尾上菊五郎の襲名披露狂言が控える。年男として迎える節目の年に菊五郎という大名跡を襲名する心境を語った。
歌舞伎界の顔となってきた歴代の菊五郎。菊之助は「歴代の方たち全てをリスペクトしている。菊五郎というのは、その時代で九代目(團十郎)と“團菊”と呼ばれたり、初代中村吉右衛門さんと“菊吉”と呼ばれたり、時代を代表する名優の方と力を携えて時代をつくっていた名前」と思いをはせた。
自身も同学年の幼なじみ市川團十郎(47)と一時代を築くことを目標としている。「ちょうど團菊祭からスタートさせていただくので、令和の時代に自分たちも團菊と呼ばれるように懸命に精進したい」と決意を口にした。
團十郎との共演で意欲を見せたのは古典の名作「勧進帳」。「明治時代に天覧歌舞伎で上演した両家にとって、とても思い入れのある演目。團十郎さんがまた弁慶をやる時は、ぜひ富樫をさせていただきたい」と團十郎に呼びかけた。
座右の銘は「磨斧作針(まふさくしん)」。困難な事でも惜しまずに努力を続け、辛抱強く取り組めば必ず報われるという意味で、中国の詩人李白に由来する。この故事成語は以前訪れた神社にあった樹齢2000年の杉の下で引いたおみくじにあった言葉を引用したもの。「私は器用な人間ではない。そんな自分を戒めて努力をすれば、報いることができるという思いと磨斧作針という言葉が合致した」と明かす。
菊五郎となっても古典、復活狂言、新作歌舞伎の3本柱に力を入れることは変わらない。特にお家芸である「新古演劇十種」復活は菊五郎としての使命でもある。「女形と立役両方を演じることができ、変化を取り入れているのが魅力」と力説し、令和の時代にお家芸を復活狂言として、よみがえらせる意義を強調した。
襲名により、父の七代目(82)と史上初めて2人態勢の菊五郎となる。「父は大きな存在であり、私を守ってくださってる防波堤でもある。父が大切にしている役を正しく(長男の)丑之助に継承するのが自分の役割」。さまざまなものを背負い、菊之助は菊五郎として、芸を次世代へとつないでいく。(前田 拓磨)
≪「團菊左時代」から今なお残る「團菊祭」≫「團菊」とは、明治期に活躍した九代目市川團十郎と菊之助の高祖父五代目尾上菊五郎から言われるようになった。1887年(明20)には、初代市川左團次らとともに史上初となる天覧歌舞伎を行った。好評を博したことで、歌舞伎界の社会的地位は向上。現在まで続く歌舞伎の礎を築き、左團次らと「團菊左時代」と呼ばれた。その功績を称え、菊之助が襲名興行を行う5月の歌舞伎座公演にも「團菊祭」として現在も名前が残っている。
◇尾上 菊之助(おのえ・きくのすけ)1977年(昭52)8月1日生まれ、東京都出身の47歳。84年2月に「絵本牛若丸」で初舞台を踏み、六代目丑之助を襲名。96年5月に五代目菊之助を襲名。「風の谷のナウシカ」や「ファイナルファンタジーX」など新作歌舞伎にも注力。18年大河ドラマ「西郷どん」、21年NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」などに出演。