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楽天ドラ1宗山に鳥谷氏から“イケメンの教え”甘いマスクを誘惑する甘い罠にご用心「考えて生活しないと」

スポニチアネックス 2025年1月11日 5時33分

 ◇NPB新人選手研修会

 日本野球機構(NPB)の新人研修会が10日、都内のホテルで行われ、12球団の新人121選手と審判員2人が参加した。遊撃手として「20年に一人の逸材」と称される楽天のドラフト1位ルーキー・宗山塁内野手(21=明大)が、阪神などで活躍し、OB講師を務めた鳥谷敬氏(43)から絶賛されたのはイケメンぶり。甘い罠(わな)に気をつけながら結果を残し、スターの階段を上がっていく。

 新人研修会における最後の講義内容は「先輩プロ野球選手からプロ野球の後輩へ」。レジェンドOBで講義を終えた鳥谷氏が、同じ遊撃手として今後の球界を背負っていく宗山について言及した。

 「顔もいいですし、そういう選手が活躍すれば、見ている人を魅了できる。(球界を)盛り上げてくれると(プロ野球OBの)私たちの仕事も増える」

 5球団競合の末にプロ入りした宗山にとって、鳥谷氏は同じ右投げ左打ちの遊撃手としてプロで活躍した憧れの存在だ。現役時代は華麗なプレーだけでなく、甘いマスクでもファンを酔わせ、43歳になった今もダンディーな雰囲気を漂わせるが「全然、向こう(宗山)の方がイケメン。ファンが増える一つの要素を持っている」と絶賛。さらに「今まで以上に見られているというのは、考えて生活しないといけない」と金言も授けた。

 近年は芸能人だけでなく、アスリートもスキャンダルが発覚するケースが多い。ファンに夢を与える立場となった宗山も鳥谷氏の助言を受け「プレー以外の立ち居振る舞いもプロとして気をつけたい」と誓う。21年前の04年、自身と同じく大卒の遊撃手としてプロ入りしたのが鳥谷氏。阪神という人気球団の重圧に耐えながら、野球に打ち込んで球界を代表する選手となった。13年WBCにも出場し、ロッテで40歳で現役を終えるまでに積み上げた安打は2099。宗山は講義で「長、中、短期的な目標を立てろ」という鳥谷氏の言葉も胸に刻み「長期的には世界に目を向けたいし、(中期的には)チームの中心選手。近いところは開幕(スタメン)」と青写真を描く。

 鳥谷氏は負担の大きい遊撃で最長の667試合連続フルイニング出場を記録。17年には顔面死球で鼻を骨折しながらも黒のフェースガードを着用して試合に出続けた。宗山も「守備ができて当たり前がショート。それに加えて打つ方でも成績を残すのがプロ。やるからにはそこに挑んでいきたい」と偉大な先輩のような活躍を目指す。

 すでに本拠の仙台市内ではマスクを着用していたにもかかわらず、ファンに声をかけられるなど、プロ入りの反響を肌で感じている。イケメンのスター候補生は、甘い罠に惑わされることなく「鳥谷ロード」を歩む。(花里 雄太)

 ≪明大先輩・星野氏のレリーフ前で記念撮影≫宗山ら新人研修会に出席した全選手は「税の意義と役割」、「暴力団の実態と手口」などの7つの講義に先立ち、午前中には約40分かけて野球殿堂博物館を見学。野球殿堂入りを果たしたそれぞれの球団に縁のある偉大な先人の殿堂レリーフの前で記念撮影を行うなど、野球の歴史を学んだ。宗山は母校の明大の元監督の島岡吉郎氏、さらに明大の先輩で楽天の元監督でもある星野仙一氏のレリーフの前で記念撮影し「あそこに名前が載るような選手になっていきたい」と目を輝かせた。

 ◇宗山 塁(むねやま・るい)2003年(平15)2月27日生まれ、広島県三次市出身の21歳。三良坂小1年で野球を始め、三良坂中では軟式の高陽スカイバンズに所属。広陵(広島)では1年夏、2年春に甲子園出場。明大では1年春からリーグ戦に出場し、通算88試合で打率.344、10本塁打、60打点。118安打はリーグ歴代7位。楽天では背番号1。1メートル75、79キロ。右投げ左打ち。

 ▽鳥谷敬氏のプロ1年目 03年ドラフト自由獲得枠で阪神に入団。04年4月2日の巨人との開幕戦(東京ドーム)に「7番・遊撃」でスタメン出場すると8回に左前打でプロ初安打。その後は藤本に正遊撃手の座を明け渡し、最終的には101試合で打率.251、17打点、3本塁打だった。11月の契約更改では「前半は肉体的にも精神的にもしんどかった」と、プロの壁に苦しんだ一年だったことを明かした。

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