大相撲の元関脇でタレントの豊ノ島(41)が11日までに自身のYouTubeチャンネル「豊ノ島のお相撲ちゃん」を更新。ゲストに元横綱・鶴竜の音羽山親方(39)を迎えた。
21年3月場所中に横綱・鶴竜は現役引退した。コロナ下のため、この場所は東京・両国国技館で開催された。現役最後の相撲はその前年、同じく両国国技館で開催された7月場所初日に腰砕けで東前頭筆頭の遠藤に敗れた。豊ノ島から引退の理由を改めて問われ、音羽山親方は「コロナ。これに尽きる」と答えた。「全てが狂っちゃった。誰とも会えないし、トレーニングもできないし(決めていた)ルーティンができない。応援してくれる人と会えないのは大きかったかな。横綱になってから、支えてくれる人、応援してくれる人のために頑張ろうという気持ちが強かったから」と説明を加えた。
鶴竜は12年3月の大関昇進時、伝達式で「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します」と口上を述べた。お客さまという言葉を用いたのは異例だった。さらに横綱へ昇進し応援を大きな力に変えていたようだ。
鶴竜が所属した井筒部屋には稽古相手がいないため、豊ノ島が所属した時津風部屋へ出稽古することが多かった。1983年6月生まれの豊ノ島が2歳上ながら、初土俵は01年九州場所、16歳で踏んだ鶴竜の方が1場所早い。中学、高校と相撲で実績を積んでいた豊ノ島は04年夏場所で新十両、同秋場所で新入幕。05年九州場所で新十両、06年九州場所で新入幕の鶴竜を出世で少しリードする状況だった。一門の連合稽古で、豊ノ島に一番も勝てなかった鶴竜が「強いなあ」と声をかけたこともあるという。豊ノ島は「自分がいい頃もあったんです」と話した。
現役時代に“勝つために大事にしたこと”を問われた音羽山親方は「まず自分の弱い気持ちに勝てないと、相手との勝負にならない。(千秋楽を迎えた直後から次の場所へ向け)休みたい、サボりたい気持ちに勝つことが大事なのかな」と話した。豊ノ島は「あ~、メッチャ負けてますね。全敗というぐらい。(鶴竜は)同じ一門なので、出稽古によく来ていただいたんですけど。来ていただいているのに“ちょっと体の方が…”と、よくお断りをして申し訳なかった」と振り返った。
2人は十両以下で対戦がなく、全て幕内で鶴竜が16勝9敗(不戦なし)だった。豊ノ島への対策を問われた音羽山親方は「左を絶対に使わさないように。四つでも右なら大丈夫、左は絶対にダメ」と述懐した。豊ノ島は立ち合いで、もろ差し狙いが基本。しかし鶴竜には稽古でも右前みつを取られ、得意の左差しに持ち込めないケースが多発。本場所の取組では鶴竜戦の場合だけ相手の視界をさえぎるように左手を出すななど、普段稽古しているからこその工夫をこらした。「初めはうまくいったけど、それからどんどん対応されて…」と懐かしんだ。