【鳥越裕介のかぼす論】ライオンズにお世話になると決まった際、何の縁もゆかりもないと言ったが、正確に言えば少し違う。大分・臼杵高校の先輩には前身の西鉄ライオンズで長年、正捕手を務めた和田博実さんがいた。私の1学年上には大分でも有名なキャッチャーがいて、たまたま、試合を見た和田さんが「キャッチャーより、あのショートの方がいい」と言ってくださったのを伝え聞いたことがある。プロ野球の世界がぐっと近づいた気がした瞬間だった。
大学を経てプロに入った時も大変、喜んでいただいた。当時、郷土の大先輩である和田さんの成績を見て「超えよう」という大きな目標を立てた。結果はまるっきり勝てなくて、現役引退する時に「何一つ勝てませんでした」と伝えたら「裕介、一つ勝っているものがあるぞ。給料だ」と笑ってくださった。現役を引退し、指導者になるにあたっては「選手の努力を見逃すな」と今でも大切にしている心に残る言葉もいただいた。
もう一人。プロ入りの際、地元で開いていただいた激励会にゲストで和田さんに来ていただいた時のことだった。サプライズゲストとして連れてきていただいたのが「神様仏様」といわれた鉄腕・稲尾和久さんだった。西鉄ファンだった父が、稲尾さんにあいさつをした時、初めてあんなに緊張した姿を見た。緊張しているのかと聞くと「バカ、おまえ稲尾やぞ」と返ってきた。そのやりとりは一言一句、覚えている。
福岡で評論家をされていた稲尾さんには、私がダイエーに移籍してきてから特に気にかけていただいた。解説ではあまり打てない自分を褒めていただいていたらしい。現役引退して最初にコーチになった2007年の春季キャンプでは、生目の杜運動公園の中を15分くらい探し回ってくれたらしい。言葉ではなく、大きな背中で伝える方だった。多くの人に愛され「こんな男になりたい」といつも思っていた。
そんなライオンズのユニホームに袖を通す。鬼籍に入られた大先輩2人に「裕介、なんとかせぇ」と言われているような気がしている。お二人に恥じないよう、全国のライオンズファンにも喜んでもらえるよう、精いっぱい務めさせていただきます。 (西武ヘッドコーチ)=終わり