野球殿堂博物館は16日に都内で今年の殿堂入りを発表し、エキスパート表彰では阪神で3度の本塁打王に輝き、85年の日本一に4番として貢献した掛布雅之氏(69)が選出された。プレーヤー表彰では日米通算4367安打を記録したイチロー氏(51)が、史上7人目となる資格1年目での殿堂入り。プロ野球最多の407セーブを挙げた元中日・岩瀬仁紀氏(50)も選ばれた。特別表彰では元セ・リーグ審判部長の富沢宏哉氏(93)が選出された。
世界のイチローと並んで殿堂入りを果たし、世界の王に祝福を受けた。野球殿堂博物館で行われた通知式に出席した掛布氏は顔を紅潮させた。
「同じバッターとして、イチローさんや王さんと肩を並べる形での殿堂入りはすごくうれしい。野球というスポーツを選んで良かったと思っている」
歴史のある阪神で貫いた4番道。その根底にあるのは田淵幸一氏の言葉だ。78年オフに西武へトレード移籍した際に、「最後までタテジマを着て4番を打て」と託された。「ボクにとっての阪神の4番像は田淵幸一だった。ヒーローになるためじゃなく、負けを背負える4番。そこを目指した」と歩んだ道を振り返った。
光と影の中で戦い続けた野球人生だった。入団テストを経て、73年ドラフト6位で阪神入り。豊富な練習量でレギュラーをつかみ、78年のオールスターでは3打席連続本塁打を放った。3度の本塁打王と82年には打点王を獲得。伝説のバックスクリーン3連発に象徴される85年は、不動の4番としてリーグ優勝と日本一に貢献した。「ミスタータイガース」と称され、阪神在籍349本塁打は球団最多。14本塁打を放った巨人・江川卓との真っ向勝負もファンを沸かせた。
一方で「甲子園で一番ヤジられたのも自分だろう。今と違って厳しいことも言われた」と勝敗を背負う覚悟も貫いた。87年に飲酒運転で逮捕されると当時の久万俊二郎オーナーから「掛布は欠陥商品」と酷評され、故障を押して打席に立ち続けた。88年に33歳で引退。ラストゲームでは甲子園球場に「夢をありがとう」の横断幕が掲げられた。
16年からの2年間は阪神2軍監督を歴任。金本監督(当時)から「しっかり育ててほしい」と要請され、大山の4番打者としての礎を築いた。昨年11月には阪神の第8代OB会長に就任。球団創設90周年を盛り上げるべく、精力的に動く。
「震災から30年目の殿堂入りは、子供たちや町を笑顔にする活動をもっとやりなさいというメッセージだと受け止めている」。阪神大震災から30年となる、きょう17日。永遠の4番打者は、子供たちの笑顔のために神戸で炊き出しを行う。(鈴木 光)
◇掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年(昭30)5月9日生まれ、千葉県出身の69歳。習志野から73年ドラフト6位で阪神入団。1年目から1軍に定着し、79年に48本塁打で初のタイトル獲得。本塁打王3度、打点王1度。「ミスタータイガース」と称され、85年4月17日巨人戦ではバース、岡田彰布とともに「バックスクリーン3連発」を放った。ベストナイン7度、三塁手としてダイヤモンド(現ゴールデン)グラブ賞6度。引退後は2軍監督などを務めた。右投げ左打ち。
【阪神創設90周年Vに期待】
阪神では23年バース以来の殿堂入りとなった掛布氏は、球団創設90周年を迎えるチームの優勝を期待した。
「巨人も昨年90周年でリーグ優勝していますからね。藤川監督も“勝てる戦力だから、私が仕事をしっかりやれば勝てる”と話していた。藤川監督の頭の中にはシミュレーションができていると期待している」
藤川監督が掲げる4番・森下、5番・大山の構想についても言及。「森下はその気持ちで引っ張ってほしいし、(4番で)フル出場の経験のある大山が、僕にとっての田淵さんのような存在になれば、素晴らしいクリーンアップになるはず」。大山の4番としての経験値が、森下をアシストすることに期待した。