野球殿堂博物館は16日に都内で今年の殿堂入りを発表し、プレーヤー表彰ではプロ野球最多の407セーブを挙げた元中日・岩瀬仁紀氏(50)が選ばれた。
NTT東海時代の岩瀬氏の恩師で、名城大で指揮を執る安江均監督(64)は、大投手・岩瀬の生みの親の一人だ。愛知大時代は野手での評価も高かった中、投手一本に専念させ、本人が「初めて野球の練習の厳しさを教えていただいた」と振り返る猛練習で土台をつくった。
「大学の時はプロにかかるかどうか、という選手。打撃センスはありましたけど、僕は投手の方がいいと思っていた」
当時、地元中日が野手での下位指名も検討していた。ただ、投手としての魅力を感じていた安江監督が「打者で下位なら、ウチで育てさせてもらえないか」とスカウトを説得。指名は見送られ、2年後に逆指名で中日入りすることになった。
「指名漏れしてウチの練習に来た時に、普通に投げても全部140キロ超。制球もいい。その時に“これは投手”と決断しました。野手なら1年目の開幕から使えたし、使いたかったけど、やらなかった。試合には出さずにトレーニング。1打席も立たせていない」
公式戦デビューさせたのは6月の都市対抗予選。安江監督はこの年で退任したが、我慢の起用がなければ岩瀬氏の野球人生は別のものになっていたかもしれない。「まさかあそこまでの投手になるとは思いませんでしたが、縁があって関われたことは、本当に誇り」と目を細めた。