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照ノ富士引退会見 一問一答「やり過ぎたかもしれない」「自分に負けない力士を育てていきたい」

スポニチアネックス 2025年1月17日 15時21分

 大相撲の横綱・照ノ富士(33=伊勢ケ浜部屋)が17日、東京・両国国技館内で引退会見を行い、冒頭で「私、照ノ富士は現役を引退し、年寄として後進の指導に当たります。みなさんありがとうございました。これからも頑張っていきます。よろしくお願いします」と語った。今後は照ノ富士親方として後進の指導にあたる。主な一問一答は以下の通り。

 ――引退決断するまでの経緯は?

 「できる限りのことをやってきた。今場所、思うように相撲できなくなり、これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれないと思い、決断した」。

 ――今場所・初日の段階で覚悟していた?

 「体と付き合いながら、優勝できるという自信を持っていた。不安も感じてきた。最後まで自分がやれることをやってきた」。

 ――14年の現役生活について。

 「良いときも悪いときもあったけど、たくさんの方に支えられてきた」。

  ――横綱に上がってからの変化は。

 「横綱に上がるまでは、がむしゃらに稽古をやってきた。横綱になってから相撲の奥深さを感じるようになった」。

 ――角界を引っ張ってきた。

 「横綱としてやるべきことをやってきた」。

 ――コロナ禍での横綱昇進だった。

 「今場所お客さんの声援を聞いて、お客さんの温かさを感じた」。

 ――横綱とは。

 「力士の見本にならないといけない」。

 ――照ノ富士親方としてどんな力士育てたい?

 「いろんなことをやることになると思う。自分に負けない力士を育てていきたい」。

 ――初場所初日の取組でこれまでのとの違いあったか?

 「思うような稽古できなかったし、思うような相撲取れなかった。前に落ちることがあまりなかったけど、あれだけ前に落ちるのは体もついていけなくなったと思った」。

 ――もう一度、関取に戻れた原動力は。

 「親方、奥さん、家族、周りで支えてくれた方々の言葉のおかげ」。

 

 ――やりきった思いか?

 「やり過ぎたかもしれない」。

 ――力士としての思いは。

 「ただのスポーツではなく、国技として日本人という誇りを奮い立たせるものの一つだと思っている」。

ーー夫人への思いは。

 「奥さんと出会ってから、良いときも悪いときも一緒にいてくれた。気持ちを奮い立たせてくれたのも奥さん」。

 ◇照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお=本名・杉野森正山、モンゴル名・ガントルガ・ガンエルデネ)1991年11月29日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身の33歳。相撲留学した鳥取城北から間垣部屋に入門し、11年5月の技量審査場所初土俵。部屋閉鎖で13年、伊勢ケ浜部屋移籍。14年春場所新入幕。15年名古屋場所新大関。17年九州場所で関脇に転落。5場所連続休場から19年春場所に序二段で復帰。再入幕の20年7月場所で幕尻優勝。21年夏場所で21場所ぶりに大関に復帰。同年秋場所から第73代横綱に昇進した。優勝10回。殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回。得意は右四つ、寄り。1メートル92、180キロ。

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