サッカー元日本代表FW三浦知良(57=JFLアトレチコ鈴鹿)が、20日放送の日本テレビ系「しゃべくり007 2時間SP」(後9・00)にゲスト出演し、98年ワールドカップ(W杯)フランス大会の代表から外された後について語った。
同大会のアジア予選をプレーオフの末に突破し、初のW杯出場を果たした日本代表。本大会開幕を目前にした合宿で、岡田武史監督が大会の登録メンバーを発表したが、そこに三浦の名前はなかった。
三浦は選外になった北沢豪とともに合宿を外れ、イタリア経由で失意の帰国を果たした。岡田監督は当時、三浦と北澤に関して、「チームに残すのは得策ではないので、自分の判断で帰した」と説明した。しかし、三浦によると、「あれは違います」と否定。「僕と北澤が“帰る”と言ったんです」と打ち明けた。
当時の合宿参加メンバーは25人おり、三浦の理解では、22人の登録メンバーから外された3人も本大会には同行する流れだったという。「僕と北澤は当然、ベテランだったので、自分たちはあのタイミングでは外されることはないと思っていたんですね。25人で行くというのは、外れる3人のいい経験になるなと思っていた」と話した。
ところが、自身が外れるとなった時、頭をよぎったのは、チームでの自分の存在意義だったという。「僕はプロだから、働く場所がなかったら帰るべきだと思ったんですね。だから、僕は“もう帰る”と言ったんですね。(日本サッカー)協会、岡田さんとしても、一緒に来てほしかったと思う」と、協会サイドの思惑も推測した。
選外になった後、北澤からも今後について問われたという。「“カズさん、どうするんですか?”、“帰るよ、当然。試合に出られないんだったら、いる意味がない”って。僕はその時はそういう考えだったので、はっきり決めて、“帰ります”って。僕らの考えを尊重して、帰らせてくれた」と明かした。
代表漏れ翌日の行動について聞かれると、「ディスコで踊りまくってました。マジで。クラブとか行って踊りまくってました」とジョークで返し、一同を笑わせていた。その切り替えの早さに、MCの「くりぃむしちゅー」上田晋也は「気を使って損した気がする」と苦笑いしていた。