【目指せ!イチロー&由伸 24年ドラフト下位指名】異色の最速151キロ右腕が、プロでの開花を目指す。阪神の育成ドラフト3位・早川太貴投手(25=くふうハヤテ)は、国立の小樽商大を卒業後、北海道・北広島市役所で勤務した経験も持ちながら、プロの世界へたどり着いた。昨年、ウエスタン・リーグに参入したくふうハヤテからは、初のドラフト指名選手。北海道出身の右腕は1軍定着を果たし、かつての職場から徒歩圏内だったエスコンフィールドでの“凱旋”登板も思い描いている。
国立大出身で公務員経験もある。野球のエリート街道とはいえない道を歩んできた25歳。だからこそ早川は強い危機感を持って、NPBの一員としてのプロ野球人生のスタートを切った。
「支配下に上がって1軍で活躍できるようにやっていきたい。1年で切られてもおかしくないと思って来ている。この1年しっかりやっていきたい」
北海道江別市出身。大麻高では3年夏の南北海道大会札幌支部予選を約3週間後に控えた練習試合中に「右肘肘頭(ちゅうとう)骨折」で全治3カ月の重傷を負った。最後の夏は投げられず、国立の小樽商大に進学。札幌学生野球2部で1年秋のリーグ戦から登板し、最速130キロの直球は4年時に147キロまで伸びた。
プロ入りを目指していたが、卒業後は公務員試験に合格して北海道・北広島市役所に勤務。市役所の軟式野球と、地元の硬式クラブチーム「ウイン北広島」でプレーした。「本当に少ない時間の中でしか練習ができなかった。限られた時間でも優先順位を決めて、何が必要かというのを考えながらやるのは、今でも生きている」。1年9カ月間、公務員としての仕事を全うしながらプレーを続けて「くふうハヤテ」入り。2軍ながらプロ野球選手と対戦するステージまでこぎ着けた。そして昨季はウエスタン・リーグで25試合に登板して4勝7敗、防御率3・22。最速も151キロまで上がり、育成選手ながら目標だったドラフト指名を受けた。
かなえようと思っていた夢がある。北広島市役所時代、日本ハムの本拠地・エスコンフィールドは徒歩圏内だったが、まだ入場したことはない。「入ってみたい気持ちはもちろんあったけど、ずっとプロを目指していたので、(プロに)入ってから自分が良いプレーヤーとして入れたら一番」。タイガースの一員としての“凱旋”を、楽しみにしている。
≪高橋の“後継者”背番129≫早川の背番号は「129」。昨季途中までは高橋がつけた。早川も「高橋さんがつけていた番号。支配下に上がって1軍で活躍されていた。同じようにというか、一日でも早くこの番号を2桁に変えられるように頑張っていきたい」と“後継者”として、早期の支配下登録へ意欲を燃やしている。高橋は22年に左肘内側側副じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けるなど長期離脱も、昨年8月11日の広島戦で1025日ぶりの1軍勝利。23年オフの育成契約から支配下復帰して、背番号29に返り咲いた。
◇早川 太貴(はやかわ・だいき)1999年(平11)12月18日生まれ、北海道江別市出身の25歳。大麻泉小3年で野球を始める。大麻東中では軟式野球部。大麻では3年夏に右腕骨折。甲子園経験なし。小樽商大では1年秋、札幌学生野球2部リーグ初登板。北広島市役所に就職後はクラブチームのウイン北広島所属。24年にウエスタン・リーグのくふうハヤテに入団。1メートル85、95キロ。右投げ右打ち。