ヒット曲「落葉しぐれ」で知られる、歌手の三浦 洸一(みうら・こういち、本名桑田利康=くわた・としやす)さんが11日、都内の病院で老衰のため死去した。97歳。通夜および告別式は18、19日に遺族の意向により、家族葬で執り行った。21日、日本歌手協会が発表した。
ビクター専属の最古参歌手で昭和20年代から歌い続けた三浦さんは、1928年(昭3)1月1日に神奈川県三浦市三崎の浄土真宗本願寺派最福寺の三男として誕生。戦後、東洋音楽学校(現東京音楽大学)に進み、声楽科卒業後に日本ビクターレコードに入社した。
作曲家の吉田正氏に師事し、1953年5月「さすらいの恋唄」でデビュー。同年9月発売の「落葉しぐれ」が大ヒットし、「吉田学校の長男坊」として歌謡界をリード。1955年の「弁天小僧」、56年の「東京の人」、さらに1957年には渡久地政信作曲の「踊子」と大ヒット曲を連発させ、一世を風靡(ふうび)した。この時期には春日八郎、三橋美智也とともに「御三家」と呼ばれ注目を集めた。
紅白歌合戦は1955年から63年まで出場を続け、64年落選のときは、所属のビクターレコードが「三浦を落とすならビクターの歌手全員が辞退する」と言わしめるほどの大スターだった。1960年代の「なつメロブーム」から、平成時代までなつメロ番組には欠かせない人気歌手として名を馳せた。日本歌手協会歌謡祭には27回出場した。
1983年には、フジテレビ「笑っていいとも!にレギュラー出演。2000年には「日本レコード大賞 功労賞」、21年には「日本歌手協会 功労賞」を受賞。2011年には歌手協会主催の「東日本大震災被災地支援チャリティーライブ」、翌12年の「靖国神社みたままつり 奉納特別公演」の出演を最後に、表舞台から去り、悠々自適の生活を送っていたが、1年半ほど前から都内の病院に入院していた。
BSテレビ東京「プレイバック 日本歌手協会歌謡祭」で過去の「歌謡祭」などのVTRを編集した「三浦洸一さんを偲ぶ」の特別番組を、2月14日午後5時56分から放送する。