放送作家の高田文夫氏(76)が20日放送のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜前11・30)に出演。自身がバラエティー番組を手掛けていた時代のフジテレビについて語る場面があった。
高田氏は番組冒頭で、タレント中居正広(52)の女性トラブルで、社員の関与が報じられているフジテレビについて言及。「放送人としては、なかなか言いづらい問題だよね、フジテレビ問題ってのは。言いたくてしょうがねえけどさ、ここだってフジサンケイグループだからね」と前置きし、アシスタントの松本明子と旧フジテレビ社屋(新宿河田町)時代を振り返った。
「夜のヒットスタジオ」「オレたちひょうきん族」など、数多くのフジテレビのバラエティー番組を担当。70年代から毎日フジテレビに通っていたといい「知り合いのディレクターの机で台本を書いていると、別のところから来て“高田悪い、ちょっとこれも書いてくれない?”って。ずーっと朝まで」と頼まれたと振り返った。
また、当時のスタッフ陣の名を挙げ「まだフジテレビが落ち込んでる時だもん。80年に漫才ブームが来てワーッとなるんだけど、その前の10年なんか“暗黒”だから。暗黒のうちは俺1人で書いてたんだから。肩も壊れるよ」と回想。
あまりの忙しさのため「先生、廊下でベンチで寝てたって。もう家に帰れないから」と松本が振ると、「各局だからね、TBS、日テレと。最後は山吹町に住んだんだもん。夜中でも原稿を届けて、直しに行けるようにさ。タクシー代ないから」と明かした。
そして「あの頃を思い出して、本当せつないね。毎日のようにいたのにさ」とコメントしていた。