米国野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の殿堂入りメンバーを発表し、今月16日に日本でも殿堂入りを果たしたイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が日本選手初の殿堂入りを果たした。注目の得票率は99.7%。米国ではメジャー史上最多652セーブを挙げたヤンキースの守護神マリアノ・リベラ氏以来史上2人目、野手では初の満票選出はならなかった。
イチロー氏に投票しなかった記者は、394人中わずか1人だった。野手の過去最高得票は、2020年の元ヤンキース、デレク・ジーター氏の99・7%で、元同僚のジーター氏と同様に満票選出に1票足りなかった。
イチロー氏はMLBネットワークに出演し「まず2001年に挑戦が始まったわけですけど、当時、僕が2025年の今日、ホール・オブ・フェイム(殿堂入り)のこの発表の場にいられることを全くく想像できなかったです。MLBでプレーする事すらできるのかどうかという議論がたくさんあったので、僕個人としてもそうですし、日本のプレーヤーとして初めてということで、大変光栄なことだと思っています」などと話した。
当時、日本からマリナーズに決まった経緯を問われると「当時のポスティングシステムのルールは、一番ビットが高いチームがその権利を得る。その1チームしか交渉ができない。それがマリナーズ。ハイエストビットチームがマリナーズということですね」と説明。野球で喜び感じるのはどういう時かと問われると「野球の魅力はゲームそのものにもちろんあるんですけど、多くの人に出会えるということだと思います。その多くの人の出会いが自分を作ってくれる。自分を作ってくれた。それが何よりの財産であり、楽しいことと言えます」と答えた。
夏の殿堂セレモニーで会いたい人を問われると「これは難しい質問です」としつつ「普段、マリナーズでユニホームを着て選手達と一緒にまだ練習してるんですけど、シアトルではない特別な場所、クーパーズタウンでケン・グリフィー・ジュニア、エドガー・マルティネス、この2人と会うことを凄く楽しみにしてます。それと久しぶりにジーターですね」と話した。
また、インタビュー中に過去の取材で「August in Kansas Ciy is hotter than two rats in a f***ing wool sock.(カンザス・シティの8月はクソ暑い!)」と放送禁止用語を交えて答えた映像が流された。「これは誰から教えてもらった?」と問われると「まず、ああいうテレビの前で言ったこと。凄く後悔しています。あれを教えてくれたチームメートはライアン・フランクリンです」と答えた。さらに「新しいのはありますか?」と問われると「あれから後悔してそういうことを言うのはやめようとしたのでそういうのはないです」と苦笑いしながら話した。
今月16日、競技者表彰のプレーヤー部門で日本野球殿堂入りを果たしたイチロー氏は日本でも満票選出の期待が高まっていたが、得票率は92.6%だった。
イチロー氏は大リーグ1年目の01年にマリナーズで首位打者と盗塁王に輝き、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)と新人王を同時受賞。04年にはメジャー新記録のシーズン262安打で2度目の首位打者を獲得した。
デビューから10年連続で200安打以上を記録し、外野手としてゴールドグラブ賞も10年連続で受賞。大リーグ通算成績は2653試合で打率3割1分1厘、117本塁打、780打点、509盗塁。
▽米国野球殿堂の選出方法 競技者部門の選考対象はメジャーで10年以上プレーし、最後にプレーしてから5年以上経過した選手。全米野球記者協会に在籍10年以上の記者が成績、品格、チームへの貢献度などを考慮して投票し、75%以上得票で殿堂入り。選考期間は10年間で得票率が5%に満たなければ翌年の対象外となる。会員投票とは別に、選考委員が時代別に功績を残した選手らを選ぶ方式もある。
◇イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日生まれ、愛知県出身の51歳。愛工大名電では2年夏、3年春の甲子園に出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に登録名を「イチロー」に変え、当時日本記録のシーズン210安打で首位打者&MVP。01年からはマリナーズ、ヤンキース、マーリンズでプレーし、マリナーズに復帰して迎えた19年3月21日にアスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)の試合後に現役引退を表明。06、09年WBCで世界一。現役時は1メートル80、80キロ。右投げ左打ち。