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イチロー氏殿堂入り会見 価値観が変わった1.17「普通に生活していたらできないことを形にできる職業」

スポニチアネックス 2025年1月22日 12時18分

 米国野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の殿堂入りメンバーを発表し、今月16日に日本でも殿堂入りを果たしたイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が日本選手初の殿堂入りを果たした。注目の得票率は99.7%。わずか1票足りず、米国ではメジャー史上最多652セーブを挙げたヤンキースの守護神マリアノ・リベラ氏以来史上2人目、野手では初の満票選出はならなかった。

 イチロー氏に投票しなかった記者は、394人中わずか1人。イチロー氏の得票率は99.746%だった。野手の過去最高得票は、2020年の元ヤンキース、デレク・ジーター氏の397人中396人の99.748%で、元同僚のジーター氏と同様に満票選出に1票足りなかった。

 イチロー氏はその後、シアトルで記者会見に出席。「振り返ると、あまりにも多くの出来事があった。いいことだけではなく、苦しいこともたくさんありました。最終的に一歩ずつここに近づき、この日を迎えられたことは言葉では言い表せないほどの気持ちです」と心境を話した。

 30年前に発生した阪神淡路大震災にも言及。この経験が野球やファンとの向き合い方にどう影響を与えたかについて「30年前のあの日を振り返ると、あの時期ですね。プロ野球選手としてチームが結束することってなかなかないんですよ。当然ですよね。自分が結果出さないとクビを切られちゃうから。春から秋まで、日本シリーズ終了まで結束できたのはあの年だけ。そんな経験はなかなかプロ野球選手できないですよ。春はなんとなく希望を持っている。シーズンが始まると結果が出てきて、盛り上がるチームもあれば、勝てないチームは早い段階でモチベーションが下がっていく。なかなか結束できない。勝っているチームも勝っているから結束していくっていうのがあるんですよね。それは日本でもアメリカでも同じです。95年は特別な年でした。日本シリーズは負けてしまったけど。それで神戸の変わり果てた街並みを見た時に自分たちが何ができるか。みんな考えました。現場に行って大変な人のお手伝いとか現場に行ってやることもできたと思います。僕たちができるのはプロ野球選手としての使命。優勝するって当時はまだオリックスは優勝したことがなかったですから。春の段階で優勝を目標に掲げてはいけないチームだったんですよ。終わった時には神戸のファンの方々、みんなから感謝されました。当時は野球なんてやっている場合じゃないという声もあった。僕らの中にもあった。プロ野球選手ってこういう普通に生活をしていたらできないことを形にできる職業なんだ。凄くその実感があった。確かにファンに対する向き合い方が大きく変わった出来事でありました」と振り返った。

 今月16日、競技者表彰のプレーヤー部門で日本野球殿堂入りを果たしたイチロー氏は日本でも満票選出の期待が高まっていたが、得票率は92.6%だった。

 イチロー氏は大リーグ1年目の01年にマリナーズで首位打者と盗塁王に輝き、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)と新人王を同時受賞。04年にはメジャー新記録のシーズン262安打で2度目の首位打者を獲得した。

 デビューから10年連続で200安打以上を記録し、外野手としてゴールドグラブ賞も10年連続で受賞。大リーグ通算成績は2653試合で打率3割1分1厘、117本塁打、780打点、509盗塁。

 ▽米国野球殿堂の選出方法 競技者部門の選考対象はメジャーで10年以上プレーし、最後にプレーしてから5年以上経過した選手。全米野球記者協会に在籍10年以上の記者が成績、品格、チームへの貢献度などを考慮して投票し、75%以上得票で殿堂入り。選考期間は10年間で得票率が5%に満たなければ翌年の対象外となる。会員投票とは別に、選考委員が時代別に功績を残した選手らを選ぶ方式もある。

 ◇イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日生まれ、愛知県出身の51歳。愛工大名電では2年夏、3年春の甲子園に出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に登録名を「イチロー」に変え、当時日本記録のシーズン210安打で首位打者&MVP。01年からはマリナーズ、ヤンキース、マーリンズでプレーし、マリナーズに復帰して迎えた19年3月21日にアスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)の試合後に現役引退を表明。06、09年WBCで世界一。現役時は1メートル80、80キロ。右投げ左打ち。

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