◇イチロー氏 アジア出身初の米野球殿堂入り
イチロー氏は会見でクーパーズタウンでの式典で会いたい人物を問われ、3人の殿堂入りレジェンドの名前を挙げた。その一人のマリナーズ一筋で活躍し、ともにプレーしたエドガー・マルティネス氏(62)が本紙の取材に応じ、殿堂入りを祝福した。残るマリナーズなどで活躍したケン・グリフィー氏(55)、ヤンキース一筋で活躍したデレク・ジーター氏(50)も祝福の声を寄せた。
マ軍一筋18年だったマルティネス氏は、イチロー氏とは01~04年の4シーズンともにプレーした。主に3、4番の中軸に座り出塁した背番号51を何度もホームに還してきた。
「イチロー、素晴らしいキャリアにおめでとうと言いたい。君のチームメートでいられたことは私にとって喜びであり名誉だった」
イチロー氏がルーキーだった01年は今も大リーグ記録のシーズン116勝と破竹の勢いで勝ち進んだ。マルティネス氏が引退した04年はイチロー氏が歴代最多のシーズン262安打を放って功労者の最後に花を添えた。当時のイチロー氏は「背中で引っ張ってくれる選手」と口にし、マルティネス氏の引退時には「打撃に関し、練り上げてきた技術を持った人。ヒット一本の味が違うというか、それぞれに味がある。シアトルで、エドガーの存在はとてつもない大きさですから」とチーム最大のフランチャイズプレーヤーの功績について語っていた。
通算2247安打、309本塁打で、2度の首位打者に輝き、シルバー・スラッガー賞は5度。右打ちでタイプは異なるが、ともに「打撃職人」という言葉が当てはまった。マルティネス氏は「あなたの一貫性、規律を持った振る舞い。そして野球への愛情をとても尊敬している」と11歳年下の天才打者へのリスペクトを改めて強調。16年にグリフィー氏の「24」、17年にマルティネス氏の「11」が永久欠番となり、今回「51」がチーム3つ目の欠番に加わった。
「これからの人生の幸運を祈っているし、君の殿堂入りのセレモニーも楽しみにしているよ。本当におめでとう」。クーパーズタウンでの再会をイチロー氏は望んだが、マルティネス氏も同調した。現役終盤はDH専任で、引退後には最優秀DH賞が「エドガー・マルティネス賞」と命名された。大リーグでは同様に最優秀投手賞が「サイ・ヤング賞」、最多セーブ賞が「マリアノ・リベラ賞」「トレバー・ホフマン賞」など、名選手の名前を冠することがある。現在、最多安打は表彰タイトルとなっていないが、その暁には――。「イチロー・スズキ賞」というタイトルこそがふさわしい。
◇エドガー・マルティネス 1963年1月2日生まれ、ニューヨーク州出身の62歳。82年ドラフト外でマリナーズに入団し、87年にメジャーデビュー。04年までメジャー18年で通算2055試合に出場し、打率.312、2247安打、309本塁打、1261打点。10年から殿堂投票候補となり、19年の資格取得最終年に85.4%で野球殿堂入りした。右投げ右打ち。
【グリフィー氏「私も幸せ」】
○…憧れの存在であるグリフィー氏からはサプライズで祝福された。MLBネットワークの番組の中継に登場。16年に資格1年目で99.32%と当時の歴代最高得票率で殿堂入りした先輩から「おめでとう。私も幸せだ。妻も大喜びで走り回っていた」と祝われた。通算630本塁打の同氏とは、09、10年とマ軍で同僚。イチロー氏は「ジョージ(グリフィー氏の本名はジョージ・ケネス・グリフィー・ジュニア)!サンキュー」と感謝した。
▼デレク・ジーター氏(イチロー氏と同じく満票に1票足りず得票率99.748%で20年に殿堂入り)対戦しながら常に尊敬していた選手。一緒に(ヤンキースで)プレーし、個人的に知り合うこともできた。彼のユニークな能力、献身性、フィールドでの一貫性は比類のないものだった。本当に唯一無二の存在。