◇イチロー氏 アジア出身初の米野球殿堂入り
――殿堂入りを電話で告げられた。
「(午後)2時15分から待機をした。電話がかかってくる前提の準備だったので、15分を過ぎて電話が鳴らなかった時に、“これないんじゃないかな”と凄く不安になった。実際にかかってきて、その報告を受けて、凄くうれしかった。やったというよりも、もうホッとしたというのが強かった。おそらく喜びはこれから起きる」
――01年に野手として初めて大リーグに挑戦した。
「僕が日本で7年続けて首位打者を獲ってのタイミングだったので、アベレージヒッターにとってはその僕が指標になるというか、僕を基準にされるという認識があった。日本の野手の評価は僕の1年目で決まる。そういう思いを背負ってプレーした記憶がある。その後3年プレーした時にようやく周りから、米国の方にもある程度認めてもらったという感触があった」
――自身の支えになった経験は?
「18年5月から(40人枠を外れ)プレーができなくなった時間。10月頭まで練習だけの時間を過ごした。次の年を信じて。あるプレー、ある記録というよりも、この経験が僕の支えになっていると言える。19年に東京ドームでの引退をお知らせしていなかった。試合が終わって何時間たってもお客さんが球場にとどまっていてくれた。あの瞬間はこれからも大きな支えになる」
――達成した偉業の中で殿堂入りの位置づけは?
「プロ野球選手としての評価という意味では、比べるものがない。これが最初で、最も大きいもので最後のもの。これ以上はないし、この後ももちろんない」
――若手への助言。
「自分の能力を生かす能力がまた別にあるということを知っておいてほしい。才能があるのに生かせないという人はいっぱいいる。ケガに苦しむ人もいる。自分をどれだけ知っているかは、結果に大きく影響している」
――クーパーズタウンについて。
「初めてクーパーズタウンに行ったのが01年。“シューレス”ジョー・ジャクソンの(新人安打)記録と交わったことがあって見に来た。驚いたのはジョー・ジャクソンのあのシューズがあったこと。靴を履いてないんだと思ってたら、後にそれは1試合だけだったと知って、人の思い込みっていうのは怖いなと。もう何度も何度も訪れたのは誰かの記録と関わった時、その選手たちと現代に生きる自分が道具を触ることによって、何か会話ができるような感触があって、凄く気持ちいい体験として残っている。クーパーズタウンというのは現役を引退してから行く場所というよりも、僕は現役中に行ってほしい場所。今の選手たちにもぜひ訪ねてほしい。薦められる唯一の場所と言っていいかもしれない、野球選手にとって」
――野球の魅力は?
「ゲームそのものにももちろんあるけど、多くの人に出会えるということ。その多くの出会いが自分をつくってくれた。それが何よりの財産であり、楽しいことと言える」