KADOKAWA発刊の月刊コミック誌「月刊コミックビーム」が公式SNSを通じ、初代編集長の金田一健さんが死去したことを伝えた。
編集部は、「訃報 ビーム初代編集長金田一健氏が1月8日に永眠されました」と訃報を伝え、2代目編集長・奥村勝彦氏のメッセージとして「金田一君は『ファミコミ』というプロトタイプを経て、『コミックビーム』創刊に至る動きの中で、最初期のメンバーであり、もちろん初代のビーム編集長である。彼と広瀬君が俺を当時のアスキーに引き入れてくれて、そっから漫画家と編集者でやりたいことををやりまくって『ビーム』が出来ていったっちゅうのが、この雑誌のスタートだと思ってくれていい。彼はのちに他部署へ転出し、アスキーも退社して他社へと移ったのだが、不思議なことにいつの間にか同じ会社で働いていた。彼は現在ではライトノベルの部門に所属しており、会う機会も多かったんだ。んで1年前に脳梗塞で倒れたって聞き、新宿の病院まで見舞いに行ったのが最後になってしまった」と説明。
「今でもたまに金田一君、広瀬君、森君、桜玉吉氏らと過ごした、仕事やってんだか、遊んでんだかわかんないような日々を思い出したりする。あれが『ビーム』の原点だったんだよなあ」としみじみと振り返り、「せっかちな俺とは対照的にノンビリした性格の金田一君。なんであわてて死んじゃったのかねえ。ガラじゃねえってのにさあ。寂しいね」と故人を偲んだ。
訃報を受け、「がらくた屋まん太」などで知られる能田達規氏は「金田一健さんの葬儀に参列し、最後のお別れとお礼をさせて頂きました。私が第1回ファミ通マンガ大賞入選して初めての担当編集者であり、連載デビュー作の『がらくた屋まん太』の担当であり、アスキーコミックの2代目編集長でした。漫画家・能田達規の最初で最大級の恩人です。ありがとうございました」と感謝。
「伝染るんです。」など大ヒット作で知られる吉田戦車氏も「若い頃におもしろい仕事をいくつもご一緒した同世代…心からご冥福をお祈りします」と追悼した。
「コミックビーム」は95年創刊。前身は「アスキーコミック」と「ファミコミ」。キャッチコピーは「愛と勇気と執念のコミック雑誌」。金田一さんは現在はライトノベル部門を担当し、TVアニメ化した「無職転生~異世界行ったら本気だす~」など多くのヒット作を生み出した。