タレントの中居正広(52)が23日、芸能界引退を自身のファンクラブサイトで発表した。これまで携わった関係各所との契約解除等に関する会談がすべて終了したため。発表後、20年に立ち上げた会社「のんびりなかい」公式サイト内で「ご報告」として最後のメッセージを更新した。
23日午後1時頃、「のんびりなかい」の公式サイトと公式Xが削除された。だが、「ニュースの部屋」のページだけはウェブ上に残り、そこに「ご報告」と題するメッセージが更新された。開くと「私、中居正広は本日をもって芸能活動を引退いたします」とする文書が表示され、文書の中で改めて「のんびりなかい」の廃業に触れた。
またファンクラブサイトでの発表と同様に、この日に引退を発表した経緯について「私がこれまでに携わらせて頂きましたテレビ各局、ラジオの皆さまとの打ち切り、降板、中止、契約解除等に関する会談はすべて終了し、スポンサーの皆さまとも順次協議中であることから、本日となった次第でございます。これで、あらゆる責任を果たしたとは全く思っておりません。今後も、様々な問題、調査に対して真摯に向き合い、誠意をもって対応して参ります」と説明し「全責任は私個人にあります。これだけたくさんの方々にご迷惑をおかけし、損失を被らせてしまったことに申し訳ない思いでなりません。そして、改めて、相手さまに対しても心より謝罪申し上げます。関係者各位の皆さま、ご迷惑をおかけしました。重ねて、お詫び申し上げます。大変、大変申し訳ございませんでした」と謝罪。最後に「37年間、ありがとうございました。さようなら…」と別れの言葉を記した。
「のんびりなかい」での発表に先立ち、中居はファンクラブサイト内で「私、中居正広は本日をもって芸能活動を引退いたします」と発表。「のんびりなかい」については「残りの様々な手続き、業務が終わり次第、廃業することと致します」とした。
中居は20年3月いっぱいで旧ジャニーズ事務所を退所。4月から個人事務所「のんびりなかい」に所属し、同事務所の社長を務めていた。
1987年に旧ジャニーズ事務所に入所。88年にSMAPを結成し、91年にCDデビューした。アイドル氷河期と言われた時代に、バラエティー番組で活路を見いだし、人気を集めた。01年に日本人アーティスト初の5大ドームツアーを開催。03年にリリースしたシングル「世界に一つだけの花」は同年だけで200万枚以上の大ヒット。16年のグループ解散まで、国民的グループのリーダーとして活躍した。
個人ではMCとして活躍。97年の「第48回NHK紅白歌合戦」では白組司会最年少の25歳で司会に抜擢された。その後紅白の司会を計6回担当。日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」、TBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」など数々の番組でMCを担当。平成、令和のテレビ界をけん引した。芸能界きっての野球好きとしても知られ、13年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、プロ野球史上初の公認サポーターである「侍ジャパン公認サポーター」に就任した。