◇緊急連載 中居引退 知られざる裏の顔(3)
3人兄弟の末っ子として生まれた中居氏。幼少期は極貧生活を送った。育った家は4畳ほどで風呂は週2回。食事はおかずがない日も多く、そんな時は白飯に水だけの「水ご飯」でしのいだという。
小学生になるとプロ野球選手を夢見て野球に没頭したが、6年生の時に肘に水がたまって断念。中学入学後はヤンチャグループの一員になった。ただ「当時流行した不良漫画に憧れて、主人公の服装や言動をマネしていた程度だった」(当時を知る友人)という。
14歳で旧ジャニーズ事務所に入り、19歳でSMAPとしてデビュー。少年時代に養われたハングリー精神とヤンキー的な人付き合いのやり方が芸能界では生きた。テレビ局関係者は「ヤンキーの世界では仲間を大切にすることと上下関係が絶対。中居さんは先輩と後輩をはっきり分けて、先輩には突っ込んだりしながらも甘え、後輩にはあえて強気に当たっていくMCが持ち味。私生活でも共演者らへの細かな気遣いを忘れなかった」と指摘する。
一方で2016年末にSMAPが解散すると、芸能界で生き残っていくためなのか、肝心のメンバーのことより、自分を優先させるような行動が目立つようになった。17年には草なぎ剛、稲垣吾郎、香取慎吾が事務所を退所したが、ともに動くとみられていた中居氏は残留。20年の退所後も3人とは合流せずに個人で活動。事務所時代からの男性マネジャーのサポートを受け、事務所とは良好な関係を保ち続けた。ところが、ジャニー喜多川氏の性加害問題が起きると事務所は弱体化。昨年、マネジャーは事務所に戻り、新しいマネジャーも、今回の騒動が起きる前に離れてしまった。
一人になった中居氏。テレビ局関係者は「あまり接点のない芸能関係者にまで相談に乗ってもらおうとしていた。信頼できるブレーンもおらず切羽詰まっていたんでしょうか」と話す。それが9日に発表した謝罪文に表れた。「芸能活動についても支障なく続けられることになりました」の一文だ。被害女性への配慮を最優先にすべきところ、自分の活動再開を宣言するような印象を与え、猛烈な批判が巻き起こった。頼れる仲間が消え、孤立が招いた結果だった。
2週間後、文書で引退発表。騒動発覚後、中居氏が姿を見せることはなかった。芸能界の頂点に上り詰めた国民的大スター。最後は、一人寂しく舞台を降りた。(終わり)