DeNAの三浦大輔監督(51)が25日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)に出演。“ハマの番長”と呼ばれるきっかけや当時の反響について語った。
三浦監督は1992年にドラフト6位で高田商業(奈良)から横浜大洋ホエールズ(現DeNA)入り。甲子園出場経験はないものの、高3夏の県大会決勝を甲子園で試合があったチーム関係者が見ていたと言い、入団後、先輩だった“ハマの大魔神”佐々木主浩氏からも「おお、あの時のソリコミか」と言われたと明かした。
「丸刈りでソリコミ入れてたんで」と三浦氏。ゆくゆくはリーゼントに「したかったですね」と明言、「矢沢永吉さんが大好きで」と理由を明かした。
MCの「極楽とんぼ」加藤浩次が「でも1年目でリーゼントにしたらおいおい、何1年目からリーゼントにしてんだって」と目をつけられるのではと心配したが、三浦監督は「あの時代はパンチパーマが多かったんで。だから先輩たちには“おう、気合入ってんな”ってよく言われましたから」と平然と話した。
さらに「ハマの番長」と呼ばれることは「一番最初は嫌だったんですよ」との本音を吐露。リーゼントにしたのは2年目で「練習とかでランニングしてる写真で、新聞の記事で出たんですよね“ハマの番長”って。新聞の記事で見出しみたいなのをつけたと思うんですよね」と愛称が誕生したきっかけを語った。
「当時“ハマの大魔神”って佐々木さんが。それもあって“ハマの番長”って出た時に、いやちょっと…番長?と思って。僕らの世代よりまだ上の世代の言葉だったので、俺らの時代に番長っていてなかったしなっていうのがあったんですけど」としたものの、「ある時小さい女の子に“ハマの番長!”って声かけられた時に、そこで覚悟したんです。もう無理やと」とあきらめて受け入れるようになったとした。
それでも「逆にそうやって呼ばれることはいいことやなと。ニックネームつけてもらうのはうれしいことなんで。それを大事にしていこうと思って」とその後は愛着を感じるようになったと告白。
「最初息子なんて小さい頃球場とか連れて来てたんで、皆が呼ぶから、ずっとパパって呼ばずに、番長って呼んでましたよ」とぶっちゃけると、「買い物行っても“番長、これ買って!”とか言うから、“外では辞めてくれ”って」と話して笑わせた。