ステージ4の原発不明がんを公表し、闘病を発信し続けた経済アナリストの森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが67歳で死去してから一夜明けた29日、親交のあった仕事仲間らから悲しみの声が上がった。亡くなる当日の朝までラジオ出演を検討しており、最後の肉声も番組で流された。がんに負けずに走り続けた姿は多くの人に勇気を与えた。
レギュラー出演していたニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」。メインパーソナリティーの垣花正アナウンサー(53)は、03年から多くの番組でタッグを組み「モリタクさん」「カッキー」と呼び合う間柄。冒頭から涙声で森永さんを追悼した。
森永さんは28日午後1時33分に亡くなったが、5時間半前の午前8時から同番組に出演を予定していた。開始前に垣花アナと電話で話して出演を見合わせており、その会話が公開された。
垣花アナが「やめときましょうか、今日」と提案すると、森永さんは「はい。お休みしまーす」と返答した。声は小さく、体調不良は明らか。それでも垣花アナが「すみません、準備してもらったのに」と謝ると「ううん、とんでもないでーす」と応じ、最後まで相手を気遣っていた。
垣花アナは「“出られますか?”と聞いた時は、必ず“出られます”と言う。昨日初めて“そうします”って言ったんです。つらいんだなって…」と振り返り、「(森永さんが)楽しく、頑張って、番組のために出演してくれた人だったから、明るく送らないと失礼」と話し、普段通りの明るさで番組を続けた。
森永さんの妻もメッセージを寄せ、最期の様子を明かした。「昨日ほぼ意識がなく、話しかけても寝ている状態だったのですが、“明日はまたハッピー!があるよ!出るんでしょ!”と言うと目を開けたので本当に驚きました」。最後まで仕事を愛した人だった。
関係者によると、1週間ほど前から体調が急激に悪くなり、在宅で鎮痛剤などを投与しながら治療を続けた。23年11月にがんが発覚した時に医師に告げられた余命は4カ月。闘病しながら仕事を続け、それから1年3カ月で「25冊の本を書き上げた」と語っていた。
仕事を愛し、病と闘い、生き抜いた森永さん。垣花アナは「見事なフルスイング。こんなあっぱれな人生はなかなかないですよね。凄いなと思います」と生きざまを称えた。
≪13万点以上のコレクション B宝館に足運ぶファンの姿も≫森永さんの死去を受けて、居住地の埼玉県所沢市にある「B宝館」に足を運ぶファンの姿もあった。同館は森永さんが約50年をかけて集めたミニカーやドラえもんグッズなど13万点以上を収蔵。2014年オープンし、開館日は毎月第1土曜日の月1回のみという独特の形式を取っている。この日訪れた同市在住の60代男性は「行こうと思っていたけど、予定が合わずに来られなかった。今後コレクションはどうなるのだろう」と心配していた。