近鉄などでNPB通算2267試合に出場し、404本塁打を誇る中村紀洋氏(51)が31日、自身のYouTubeチャンネル「ノリ流チャンネル」を更新。1991年ドラフト4位で近鉄に入団した1年目の監督だった故仰木彬さん(享年70)との思い出を語った。
2005年に移籍したドジャースでの成績は、17試合で39打数5安打の打率.128、0本塁打、3打点だった。仰木さんとともに近鉄でプレーしたのはプロ1年目だけだったが、中村氏がメジャー挑戦する際にも一緒にゴルフをしながら動向を気にかけてくれていたという。仰木さんから「気持ちは変わらんか?」と聞かれると「アメリカへ行ってきます」と宣言。「じゃあ、行ってこい」と快く送り出されたことを明かした。
近鉄で監督を務めた後、オリックスで指揮した仰木さんとの思い出について「入団当初1年でオリックスの監督になられている。1年目だけだったんですよ」としつつ「オリックス戦では必ずご挨拶させてもらっていました」と振り返った。
入団1年目に仰木監督に門限破りを見つかったこともあったと告白。「ばったり仰木さんとお会いしたんです。次の日から2軍だと思って覚悟を決めて“こんばんは。今、帰ってきました”って言って」とその場で素直に打ち明けたという。すると、仰木さんから「おっ、野球選手はそうでなくてはいけない」とまさかの言葉が飛び出したそうで、中村氏は「ええ?」と驚いたという。それでも「おそらく仰木さんも酔っ払ってるからなって。明日は朝イチで呼ばれると思って、帰って2軍行きの準備をしていたんですよ。絶対言われると思ったから」と振り返った。
翌日、中村氏をさらに驚かせたのが門限破りした自身をスタメンで起用する仰木監督の決断だった。「まさかのスタメンです。これで打てなかったらすぐ2軍だろうと。で、2本くらいヒットを打ったんです」と崖っ縁の状態で結果を残したことを明かした。
仰木監督のこの決断について、中村氏は「後で聞くと、“いいぞ、全然。次の日ユニホームを着たときはシャキッとしとけ。同じようにだらっとしてたらダメだ”という感じらしいです」と明かした。だが、門限破りを見つかった時は「やってもーたなって思った」と苦笑いで振り返っていた。