監督が藤川球児に代わっても、阪神伝統の練習は変わらなかった。沖縄・宜野座でのキャンプ初日、アップ、キャッチボールを終えた後、最初の練習メニューは「全員ノック」だった。
全員が同時にノックを受ける、という練習だ。当欄で何度か紹介してきたが、阪神が初めて高知・安芸でキャンプを張った1965(昭和40)年から続く。丸60年、足かけ61年目になる。
もともとは阪急(現オリックス)の練習だった。65年2月、阪神フロント陣が同じ高知県(高知市営球場)の阪急キャンプを視察すると、4組に分かれて全員でノックを受けていた。監督・西本幸雄考案の練習法だった。阪神では監督・藤本定義に報告、採用となったそうだ。当時、マネジャーだった中村和臣(現名・和富)から聞いた。
この日は新外国人ラモン・ヘルナンデスを含め20人の野手全員を3組に分け、ゴロ捕球した遊撃手の位置から一塁送球、二塁手の位置から二塁送球、外野フライ捕球に分かれた。順に位置を交代して行った。
日本一となった前監督・岡田彰布(現球団顧問)時代も行った。同じく日本一となった85(昭和60)年は監督・吉田義男の口癖だった「一丸となって」を象徴する練習だった。吉田は「選手もノッカーも声を出しあい、士気を高め、一丸となる」と目的を話していた。
藤川は今キャンプの狙いを「チームを一つにまとめていく作業」と話している。ならば格好の練習だったと言える。ただ、かつて吉田が拡声器で掛布雅之や平田勝男らにハッパをかけていた光景はない。おとなしく、静かなうちに終わった。
全員ノックに限らず、藤川は「表情を見たかった」と言った。「集中力が高まった瞬間を見たい。自分を追い込んでる時に、周りのことが気にならなくなった瞬間が、グラウンドで一番素晴らしい状態なので。そういう表情、雰囲気を自分も感じておきたい」
なるほど、指揮官らしい視点である。集中した顔、時に苦しむ顔。その顔を知っていれば、何らかの対応ができる。
19世紀の詩人エミリー・ディキンソンの詩に「私は苦悩の表情が好き」とある。「なぜなら、それが本当だと知っているから」。人は演技で顔をひきつらせたりしない。
そんな「本当の顔」がいくつか見えたかもしれない。 =敬称略=
(編集委員)