女優の萬田久子(66)が1日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)に出演。ミス・ユニバース日本代表選出での環境の変化について明かした。
1978年、短大在学中の19歳の時にミス・ユニバース日本代表に選出され、それを機にスカウトされ、芸能界入りした萬田。「ミス・ユニバースってテレビでオンエアされるので、私、銭湯に行ってたんですね。だから今まで知ってたおじちゃん、おばちゃんが行くと見に来るから“恥ずかしいから”って、親が“お風呂作ったろか”ってお風呂作ってくれて。(環境が)突然変わって」と懐かしんだ。
両親の反応については「契約がある1年間、国際宣伝をするという。“派手な交際しちゃダメだ”とかで、それを母親が“ちょっとこの子にはできません”と。“1年間おとなしくしてるような子じゃない。ハンコ押されへん”と言ったんですけど、向こうの方が“いや皆さんそうおっしゃる”って。それで一応ハンコ押させてもらって」と振り返った。
その後、1年間、短大に通いながらミス・ユニバース日本代表として活動。「そこから京都に就職が決まってたんです、アパレル。だけど、プロダクションの方がお声がかけてくださったんです」と説明。その時点は女優への興味は「申し訳ないけど、なかったですよね」と苦笑。「東京っていうのは憧れがあった。女優っていうより、東京ですね」とぶっちゃけた。