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吉田義男氏が死去、91歳 監督として阪神を球団初の日本一に導く「今牛若丸」仏代表監督で「ムッシュ」

スポニチアネックス 2025年2月4日 17時9分

 プロ野球の阪神を監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)氏が3日午前に脳梗塞のため死去したことが4日、分かった。91歳。京都府出身。通夜、告別式については非公表。

 吉田氏は現役時代に「今牛若丸」と称され、1メートル67と小柄な体格ながら華麗で堅実な守備でファンに愛された守備の達人。ベストナインを9度受賞、最多安打1回、盗塁王2回。引退後は阪神の監督を3度務めた。阪神の監督を3度経験した唯一の人物。1985年、阪神を初めて日本一に導いた。1987年に背番「23」は永久欠番に。阪神の永久欠番は藤村富美男氏の「10」と村山実氏の「11」と吉田さんの3人だけとなっている。

 チームメートや同世代の野球人からは「よっさん」と呼ばれた。1989年から1996年まで野球フランス代表の監督を務め「ムッシュ」の愛称で親しまれた。甥の谷真一も近鉄の元プロ野球選手。

 ▼藤川球児監督 突然の訃報に驚いています。偉大な大先輩であり、またお元気な姿で再会して叱咤激励いただけるつもりでいましたので、残念でなりません。素晴らしい先輩方が作り上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代に繋いでいきたいと思いますし、天国の吉田さんに良い報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしてシーズンを戦っていきます。故人のご冥福を心よりお祈りいたします。

 ▼粟井社長 この度は突然のことで、大変驚いております。心よりお悔やみ申し上げます。昨年もお元気な姿を拝見しておりましたので、信じ難いというのが正直な気持ちです。現役時代は、華麗な守備で『牛若丸』と称され、監督としても日本一に導かれるなど、多くの功績を残し、現在も『23番』の背番号は当球団の永久欠番となっております。また、退団後も球団関係行事へ献身的にご参加いただくなど、長きにわたって球団の発展へ貢献いただいたことに対し、あらためて感謝の意を表するとともに、これまでのご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。

 吉田 義男(よしだ・よしお)1933年(昭8)7月26日生まれ、京都市出身。山城では2年夏に甲子園出場。立命大を1年で中退して53年に阪神入り。俊足巧打の遊撃手で、1メートル67と小柄ながら華麗な守備は「牛若丸」と呼ばれた。コーチ兼任の69年限りで引退。ベストナイン9度。通算350盗塁は球団歴代2位。球宴には13度出場し、56年第2戦で決勝打を放ち殊勲選手賞。3期8年に渡って阪神監督を務め、85年には21年ぶりリーグ優勝と球団初の日本一に導いた功績で正力松太郎賞を受賞。90~95年はフランス代表監督を務め、同国の野球普及に尽力した。92年に競技者表彰で野球殿堂入り。現役時代の背番号23は阪神の永久欠番。

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