プロ野球・阪神の監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前に脳梗塞のため死去したことが4日、分かった。91歳。京都府出身。通夜、告別式については非公表。
吉田さんの出身校・山城高の1年後輩にあたるタレント浜村淳(90)がスポニチの取材に応じ、悲しみを語った。
高校時代、吉田さんはすでに野球部のスターで、先輩でもあり気楽に話せる間柄ではなかったという浜村。近しくなったのは、吉田さんが95年まで務めたフランス代表監督を終えて帰国後からだという。「催しなどでお会いしては高校時代の話をするようになった。“よっさん”と呼んでも怒らんええ先輩でした」と振り返った。
最後に会ったのは、2017年11月。虎党のラジオパーソナリティー中村鋭一さんの葬儀だった。「長く思い出話をして、最後に“お互い元気で、長生きしよな”と言うて別れたのに。こんなに早く訃報に接するとは」と肩を落とした。
吉田さんが阪神に入ったことを機に、浜村の山城高時代の仲間は皆、虎党になったという。吉田阪神が85年に日本一になる前、“第1次吉田政権”時代の76年には巨人との激しい首位争いの末、リーグ2位に終わった。浜村は「番組で“優勝してくれ。あかんかったら髪の毛切るわ”って言うたんです。優勝を逃して約束通り断髪式をやったんですよ。そしたら、吉田さんが真っ先に駆けつけてくれた」と懐かしんだ。
浜村は、「よっさん、あんたが監督やってる時もういっぺん日本一取りたかったやろな。ちょっと早すぎるで、亡くなるのが」と天国の吉田さんに言葉を送った。「残念ですよ。人には寿命というものはありますが、私にとっては山城の象徴が消えたと、悲しい気持ちです」と別れを惜しんだ。