勉強に陸上、サッカー、生徒会で大忙しだった中学時代と比較し、コンサドーレ札幌の岩政大樹監督は「受験のための勉強と、サッカーで山口県選抜に入ることが目標になり、中学から比べシンプルになった」と岩国高校3年間を振り返る。
考え方も変化した。「中学までは絶対負けたくないと思って、1番を取るために勉強したけど、山口大学か広島大学に進学しようと思って、そこに合格するレベルの勉強をすればいいと知った時に、僕は要領よくやってしまうタイプ。なので労力をサッカーに費やした」と打ち明ける。
これまで以上にサッカーに打ち込んだが、夢はブレずに教員だった。サッカーは高校でやめようと思っていたが、山口県選抜として国体選手に選ばれ、「完全燃焼しようと思ったら、大会2日前に中足骨(足の甲)を骨折。そこで進路を変えようと思った」と、故障が運命を変えた。
松葉づえをつきながら参加していたら、周囲から「東京学芸大」という言葉を聞いて、自分で調べた。広島大、山口大と同じ国立大で、「教育学部しかなく、サッカー部は関東1部リーグだし、自分のやりたいことがそろっていた。数学科に入って、数学の先生になるつもりだった」と打ち明け、同時に迷わずサッカー部へ入った。
大学1年のリーグ戦でセットプレーから3得点した。「(元札幌FWの)曽田雄志さんが筑波大のエースでいたけど、ヘディングで勝ったりもした。新人王を獲り、全日本大学選抜にも入って、プロを目指し始めたのはそこからですね」。大学3年になると複数のクラブからも誘われた。両親にも「いったん、プロに行かせてくれ!」と説得し、教員採用試験も受けなかった。
プロ入り後も多くの経験を積んだ。04年、鹿島に入団しリーグ3連覇。日本代表としても8試合に出場し、10年W杯南アフリカ大会にメンバー入りした。タイリーグ、J2岡山などでプレーし、18年に現役引退。「プロの世界に身を置いてる限りいつまでも競争。それを望んでいたし、引退する日までやり続けなければいけない」と選手として完全燃焼した。次なる夢は指導者としてのキャリアだ。鹿島、ベトナムのハノイFCを経て、たどり着いた北の大地。札幌で、J1昇格とクラブ初のタイトル獲得に挑む。(青木 一平)=終わり=