元巨人の槙原寛己氏(61)が9日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・00)に出演。阪神の監督として1985年に球団初の日本一に導き、脳梗塞のため3日に91歳で死去した吉田義男さんとの思い出を語った。
槙原氏といえば、1985年の甲子園での阪神戦でランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布にバックスクリーンへ3連発を浴びたことが語り草となっている。槙原氏はこの場面に触れ「3連発を打たれた時の監督というイメージが強いと思います」と苦笑いしながら話した。
それ以上に記憶に残っているのが阪神戦で犠打を決めた場面だという。「バントをして初めて決まったので凄くうれしかった。そしたら守備妨害だって(吉田さんが)凄い抗議されていて」と振り返った。「ジャンパーを脱ぎだして腰に巻いて引き下がらなかった。早く帰ってくれないと僕のバントがダメになっちゃうので、っていう思いがあった。熱血漢だなとその時に。柔らかい感じの人だったんですけど、野球に入ると凄く違うんだなと感じました」と思い出を語っていた。
俊足巧打の遊撃手で、1メートル67と小柄ながら華麗な守備は「牛若丸」と呼ばれた。槙原氏は「(監督時代も)選手より守備が上手かったという逸話が残っています」とエピソードを披露した。