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【内田雅也の追球】不完全だから美しい。

スポニチアネックス 2025年2月11日 8時3分

 キャンプ取材で沖縄にいると、時に月とともに暮らしている感覚に陥る。今もよく旧暦が使われているからだろう。

 10日は旧暦1月13日。十三夜月だった。十五夜の月に次いで美しい月といわれる。これから満ちていくため、縁起がよいとされる。

 この感覚は日本だけのものではない。映画『スリランカの愛と別れ』(1976年、監督・木下恵介)で俳優・高峰秀子演じるジャカランタ夫人は「インドでは満月より十四日の月を喜ぶわ」と言うセリフがある。著書『わたしの渡世日記(下)』(文春文庫)にあった。「満月は明日から欠けはじめるけど、十四日の月にはまだ明日がありますからね」

 野球もまた不完全だからこそ美しい、と古今東西でよく言われてきた。失敗が多く、いかにも人間的だからである。

 イチローが先月、アメリカ野球殿堂入りを果たした時のコメントにもあった。満票に1票足りなかったことについて「すごく良かった」と肯定的にとらえていた。「いろんなことが足りない。人って。自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんです。不完全であるというのはいいなって。生きていく上で不完全だから進もうとできるわけです」

 阪神監督・藤川球児が今キャンプのテーマの一つに掲げる「凡事徹底」は、その人間らしい不完全さを補う姿勢だと言える。当たり前のことを当たり前にやるわけだ。

 前監督、現顧問の岡田彰布が前日9日、シートノックでの送球の不安定さに苦言を呈した。特に外野手の直接送球について疑問を呈した。

 ただ、岡田監督時代の「全球カット」の前提は踏襲している。内野手がカットできるほど低く、強い送球で、結果として直接送球になっても構わないという姿勢でいる。

 ところが、現実にはワンバウンドした送球が不規則バウンドで乱れる場合が散見されている。

 もちろん不完全だ。ただし完全に近づこうとしている努力は認めたい。

 「如実知自心」という仏教語がある。「ありのままの自分を認めよう」という意味だ。名取芳彦『気にしない練習』(知的生きかた文庫)にある。<弱い自分を自覚して、それを何とかしたいと思っている自分を認めようということです>。

 だから、不完全でも美しいのだろう。阪神キャンプもまだまだこれからである。 =敬称略= (編集委員)

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