創設20年目の節目、岡山が悲願のJ1初昇格を果たした。2月15日のリーグ開幕・京都戦(JFE晴れの国スタジアム)はすでに前売り完売。町の熱狂を肌で感じるDF阿部海大(25)が単独インタビューに応じ、クラブ史の新たな1ページを担う決意を語った。(取材・構成 飯間 健)
昨季J2リーグのレギュラーシーズンは5位。昇格プレーオフでは山形と仙台をともに無失点に抑え、昇格を決めた。その2試合を含めて、昨季36試合に出場した阿部はGK金山隼樹と並び在籍8年目の最古参。岡山を知り尽くす1人だ。
「このクラブは“子どもたちに夢を”という理念の下、全員がどんな時も諦めずにひたむきに謙虚に90分間戦い続けられる。誰か1人が飛び抜けているわけではなく、全員で戦うチームですね」
18年にサッカーの名門・東福岡から加入。クラブの“温かさ”が入団の決め手だったが、それが地域全体に根付くものだと気付くのにそれほど時間は必要なかった。
「練習参加した際、クラブの方々が温かく迎え入れてくれた。このチームならば自分のパフォーマンスを100%出せるなと感じました。それに岡山県はJ1に上がる前から本当に熱いファンやサポーターの人が多い。去年も勝てない時期があったけど、ブーイングじゃなくて、励ましてくれて一緒に戦ってくれた。プレーオフ進出後は地域全体でJ1昇格に突き進む一体感が感じられていて、それを達成した瞬間は嬉しかったです」
個人的な転機はプロ6年目の23年。J2秋田へ期限付き移籍した時だ。19年夏に股関節痛を発症。ルーキーイヤーはいきなり開幕スタメンを飾るなど華々しいスタートを切ったが、負傷後はなかなか試合に絡めなくなっていった。環境を変える必要があった。ただ変わらなかったのは岡山への思いだった。
「移籍する前、自分の中では“1年通して活躍して、ここで得た自信や経験を岡山のJ1昇格のために貢献する”と強く思っていきました。秋田の吉田謙監督を始めとするスタッフの方々にはセンターバックの個別トレーニングをしてもらい、ゴール前での強さや相手FWに仕事させない守備の仕方、ペナルティーエリア内に入れさせない、仕事させない、ボールの弾き方などを細かく、立ち位置を含めて教えてもらいました。そして試合の経験を積み、シーズン終了時には岡山に帰ると決めていました」
秋田への感謝とともに、育ててもらったクラブや地域への恩返しの気持ちも強い。
「よく新加入の選手に“岡山は本当にマジメなチームだね”と言われる。確かに上手くいかない時でも投げ出さずに、ひたむきに取り組める。試合に出られていない選手、絡めていない選手がいても誰ひとりとして練習態度がブレないんです。先輩方を見てきて思うクラブの良い伝統で、そこは今後も伝えていきたいですね」
伝えていきたいこともあれば、初のJ1舞台を特別な意義あるモノにもしたい。
「すでに町全体の盛り上がりを凄く感じていますが、自分たちの活躍でまた試合を見に来たりとか、地域がより盛り上がるように、サッカー熱を高められれば良い。自分自身にとっても初のJ1で難しい時期も多くなると思うけど、ブレずにひたむきさを失わず、やり続けたい」
大分県杵築市出身。漁師の家系として生まれ、“海のような大きな男になれ”という願いから“海大”と名付けられた。魚類は苦手であまり食べられないと苦笑いを浮かべるが、クラブに欠かせない存在になっているのは間違いない。2月15日・京都戦。まだ見ぬ大海原へ帆をかけ、より大きな男になっていく。