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ラグビー界で世界初の偉業!選手からレフェリーで五輪挑戦 ~幕別町出身・桑井亜乃さん~

STVニュース北海道 2024年7月29日 20時59分

連日熱戦が繰り広げられているパリ五輪。

7月28日(日)からは女子7人制ラグビー競技も始まり、そこで1人のどさんこレフェリーが、選手と審判の両方で五輪の舞台に立つという、ラグビー界で世界初の偉業を達成しました。

そのレフェリーは、十勝の幕別町出身・桑井亜乃さん、34歳。

元日本代表選手としてプレーし、今は日本ラグビー協会の公認レフェリーを務めています。

選手経験者ならではの冷静な判断力と、鍛え抜かれた走力を生かして試合をコントロール。

パリオリンピックの舞台に立つことを目標に、この3年間並々ならぬ努力を重ねてきました。

<桑井亜乃さん>

「パリ五輪のレフェリーに選ばれてホッとした。

3年間思いを持ってやってきてたので、メンバーに選ばれたことは凄く嬉しかった」

桑井さんの子供の頃からの夢は、オリンピック出場。

生まれ持った体格を生かし、高校時代は円盤投に没頭。

全国大会に出場するほどの実力者でした。

その後、大学の授業をキッカケに始めたラグビー。めきめき頭角を現し、日本代表に選出されました。

そして、2016年のリオデジャネイロ五輪。

競技を始めてわずか4年で出場を果たすと、日本女子初トライをマーク!

多くの功績を残し2021年に現役を引退すると、

すぐさまレフェリーとして再び五輪の舞台を目指すことを決意。

これまでラグビー界では、選手とレフェリーの両方でオリンピックを経験した人はおらず、

それは世界初への挑戦でした。

<桑井亜乃さん>

「私にとってオリンピックは特別な場所というか、1回行くともう一度行きたくなる場所。

レフェリーを始めてオリンピック目指しますと言った時に、それは世界初だということも分かった上で始めてたし、私が世界初をもらいにいくぞという意気込みだった」

女子ラグビーのオリンピックレフェリーに選ばれるのは、世界でわずか11人…。

桑井さんが選抜されるためには、とにかく実績を積むのみ。

経験豊富なライバルに囲まれる中、桑井さんの挑戦が始まりました。

まずは体力面を強化。

15人制と同じ広さのグラウンドを走り回る7人制ラグビー。

試合時間14分でのレフェリーの走行距離は2キロ以上に達し、時には選手を上回ることも。

これを1日に何試合も繰り返します。

現役時代に所属したチームの練習に参加して、日々、体力づくりに励みました。

さらに、直談判の末に男子の練習にも参加。

日本トップクラスのチームで技術やスピードの強化にも取り組みました。

同時に筋力トレーニングも行い、選手とぶつかる場面なども想定して瞬発力や持久力を鍛え抜きました。

その姿は、まさに現役アスリートと変わりません。

そんな姿に、桑井さんが現役時代に所属した女子社会人チームの後輩たちは・・・。

<中澤佑衣さん(北広島市出身)>

「亜乃さんのすごいところは、“有言実行力″。

自分で目標を常に言葉に出して努力して達成している人なので、後輩の私たちも頑張ろうと思えるし、大きな刺激になっている」

そして桑井さんの努力は、グラウンドの外でも。

オフの日や練習前の空き時間、お気に入りのカフェで自分が担当した過去の試合などを振り返り、

反省に余念がありません。

レフェリーとしてパリの舞台に立つと公言してからの3年間、欠かさずにやってきた日課です。

<桑井亜乃さん>

「私はラグビーは知っていると思ったけど、レフェリーは全く知らないゼロからの状態だったので、

自分がレフェリーの立場になった時にどこを走ればいいかわからないし、どのタイミングで笛を吹けばいいのかもわからなかった。ゼロからまた3年で五輪というのはめちゃめちゃ難しいってことを本当に痛感したので、準備されたものだけだったら3年で五輪に行けないと思った」

桑井さんは、更に経験を積みたい一心で海外へのレフェリー留学も敢行。

ラグビーの本場、イギリスやフィジーに一人で赴き武者修行。

帰国後も自主的に英会話スクールに通うなど、生活の全てをレフェリーに捧げてきました。

<桑井亜乃さん>

「選手として4年で五輪に行くのも難しかったのに、3年と1年少ない期間でどうやったらもっと上に行けるかと考えた時に、やっぱり自分で行動を起こさないといけないと思った。私は挑戦することが好きなので、それが全部私にとって人生の吸収となる。レフェリーを始めて良かったと思う事しかない」

桑井さんのレフェリーコーチで、

自身もリオデジャネイロ五輪、日本人初のレフェリーを務めた大槻卓さん。

この3年間、二人三脚で取り組んできました。

<大槻卓さん>

「桑井さんの五輪への情熱はすごかった(笑)今だから冗談で言うが、3年で五輪というのはそんな簡単なことじゃないからって。本当にゼロからのスタートだったので。でも何よりも印象的だったのは、真剣に五輪を目指すと言っていたので、それなら出来るのではないかと思えた。そういう意味でも色んな部分で彼女の本気に圧倒された」

そして去年、桑井さんはオリンピックへの登竜門となる国際大会でレフェリーを担当。

審判を始めておよそ1年半での抜擢は、極めて異例のことでした。

その後、桑井さんは30試合以上の国際大会でレフェリーを担当。

その実績が認められ、選手とレフェリーの両方でオリンピックの舞台に立つ、世界初の栄誉を手にしました。

選手としてオリンピックを経験した、世界でただ一人のレフェリーとなる桑井亜乃さん。

選手を経験したからこそ抱く、強い思いが・・・。

<桑井亜乃さん>

「もう1回五輪の舞台に立てるのは幸せなこと。選手たちにとっても4年に1回の場所だから特別な存在であると思うので、その選手たちにノープレッシャーの状態で最大のパフォーマンスを引き出せるようなレフェリングをしたいと思う」

桑井さんは日本時間29日(月)に行われたニュージーランド対中国の試合で、念願だったオリンピックでのレフェリーデビュー。女子7人制ラグビーは日本時間の31日(水)まで行われる予定です。

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