20年前の中越地震で棚田などに被害を受けた十日町市・池谷集落は、地震後に積極的にボランティアを受け入れました。
地震から20年を迎えたいまも、当時のボランティアが集落の棚田などを守っています。
田んぼを守る移住者
銅釜で炊いたのはことしの新米です。
山あいの集落はこの日、にぎやかな笑い声が響きました。
清らかな水で育てた自慢のコメ。
多田朋孔さんは集落の田んぼを受け継ぎ守ってきました
多田さんがここへ移り住んだのは約15年前。中越地震がきっかけでした。
中越地震で棚田等に被害 “限界集落”に……
2004年10月23日。震度7の激しい揺れが中越地方を襲います。
震源からおよそ15キロ離れた十日町市池谷集落は、いたるところで棚田やあぜ道が崩れ落ちました。
さらに、地震のあと2世帯が離れ、住民は6世帯13人に減少。
その半数以上が高齢者だったことから、集落の維持が難しい「限界集落」とも呼ばれました。
にぎわいを取り戻す集落 きっかけは……
それでも、池谷集落は活気を取り戻します。
都会からボランティアを積極的に受け入れると、イベントごとに若者たちが集まるようになったのです。
ボランティアを受け入れた曽根武さん
「ムラの灯を消さないために若者たちを呼び込もうー」
そう提案したのは、集落の曽根武さんでした。
曽根武さん(2010年当時)
「地震後のこのムラっていうのは、ものすごく一変しちゃった。というのは、あの時おれたちが諦めてここを出ていたら、いまこのムラはなくなっているわね」
「ここでなら……」感じた集落の雰囲気
2009年。多田さんはボランティアの一人として池谷集落を訪れました。
大阪出身で、京都大学では応援団長だった多田さん。
卒業後は、東京のコンサルタント会社に勤めていました。
もともと農業をやりたいという思いがあり、集落に通ううちに、ここでなら挑戦できると感じたといいます。
多田さん
「集落の人たちは「よその人でもいいからここを引き継いでくれる人に来てもらって、集落の存続をさせたい」という熱い思いを持っていたので、そういうところだったら受け入れてもらって、一緒にできると思った。それでここに来た」
歓迎の中での移住
そして、2010年の冬。家族で集落に移住しました。
「ムラに若い家族が来てくれたー」
曽根さんは手放しで喜びました。
曽根武さん(2010年当時)
「何言っているんだ限界集落じゃねえぞと。非常に怒りもあったんです。今回わたし、それを怒らなくてもよかったっていうのは、多田さんが来て、この子が来るっていう。限界集落は解消!あとは希望をもってあすを信じてやるしかない」
集落の農業を法人化 棚田守り続ける
集落を存続させようと、2012年にNPO法人を立ち上げた多田朋孔さん。
地域の田んぼを任され、現在はあわせて約7ヘクタールでコメ作りを行っています。収入も安定して確保できるようになりました。
多田朋孔さん
「言われて嬉しかったのは『お前には厳しくしているけど期待しているから厳しくしているんだ』と言われたはことはありますね。高齢化によって(稲作を)やめたり亡くなったりする人が出てくる中で、バトンタッチの時期がきまして、バトンタッチする中で寂しさもある」
多田さんに繋がれたバトン
多田さんのコメ作りの師匠でもあった曽根武さん。
5年前、81歳で亡くなりました。
妻のイミ子さんが大切にしている写真があります。
朝日に包まれる棚田……武さんにとっては4代に渡って守ってきた土地です。
いまはボランティアだった多田さんが受け継いでいます。
当時を知る人が語る 池谷の20年
曽根武さんの妻・イミ子さん
「地震後にこれだけ栄えたから地震のお陰もあるんさ。あの頃は大変だったけどね、皆さんが助けてくれて、池谷の土地を耕作してくれて、わたしたち幸せ」
ことしも迎えた実りの秋 オーナーたちが稲刈りに集まる
ことし9月。池谷集落は稲刈りのシーズンを迎えました。
集落にはコメ作りを体験できる棚田オーナー制度があります。
この日は棚田オーナーやその家族など約30人が全国から集まりました。イベントを通じていまも都会との交流を続けているのです。
集落で育つ若い力
その中には夢中で稲を刈る小さな背中もありました。
多田さんの三男直史くんです。
かつて限界集落だった池谷で若い力が育っています。
多田朋孔さんの三男・直史くん
「あそこの家に住んでいて毎年稲刈りしている……。こんな大人数でやるときが少ないので新しい感じ」
棚田オーナーたちの思い
地震の当時、暮らしていた集落の人たちは少なくなってしまいました。
あれから20年ー池谷の灯は、ともり続けています。
東京からの棚田オーナー
「復興に貢献できているかもしれないので、頑張りたいと思いました」
神奈川からの棚田オーナー
「みんなの熱い気持ちがあって、いまここがあるんだなと。できればちょっとでもお手伝いできたら」
懇親会で味わう池谷の味
稲刈りの後は懇親会が開かれました。
池谷の新米を囲み、山の恵みをかみしめます。
移住者の訴え「過疎地を切り捨てないで」
15年前……集落の人の歓迎を受けながら池谷での生活をスタートさせた多田朋孔さん。
いまは迎え入れる立場になりました。
被災した集落に移り住んだからこそ感じることがあるといいます。
多田朋孔さん
「震災があったから都会との交流が生まれて、自分みたいな人が来て今があるということを考えると、能登半島地震や豪雨災害がありましたけど、そういったところから外のボランティアとつながって継続的な取り組みをする中で過疎地が復興していくことは十二分に考えられる。ぜひ政府にはそういったところを切り捨てずに、しっかりと応援することをやってもらったほうがいい」
集落の人口は現在9世帯17人(2024年9月末時点)。
震災の直後よりも人口が増えました。半数以上が移住者やその家族です。
池谷の人々が守った棚田を未来へつなぎます。