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“山古志と神戸” 分かち合う震災の記憶 阪神淡路大震災から30年 《新潟》

TeNYテレビ新潟 2025年1月17日 19時45分

6434人が犠牲となった阪神淡路大震災から1月17日で30年です。神戸市で開かれた慰霊祭には中越地震で被災した旧山古志村の住民も参列しました。地震により大きな被害を受けた神戸と山古志。震災の記憶を分かち合い復興に向けて手を携えてきました。

「黙とう」

神戸にともった追悼の明かり。地震から30年となる節目の日を迎えました。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。国内で観測史上初めてとなる震度7を記録。神戸市を中心に建物の倒壊などが相次ぎ、6434人が亡くなりました。大きな被害を受けた長田区日吉町。大規模な火災に見舞われこの町内だけでも27人が命を落としました。17日朝、開かれた慰霊祭。地震の発生時刻に合わせて黙とうが捧げられました。

〈地元の住民〉

「(地震を)味わうのはもういや、一回味わったら、テレビ見てもああこんなん見たくないわって変えるもん」

犠牲者の名簿には長岡市の旧山古志村の住民の名前が記されていました。

〈松井智美さん〉

「うちのお父さんの名前も山古志の方の名前もここに刻まれていまして、神戸で皆さんにあたたかく見守っていただいてることは本当にありがたいことだなと」

松井智美さんです。旧山古志村の木籠集落で震災の記憶を語り継ぐ活動を行っています。

〈松井智美さん〉

「山古志とのつながりも守ってくれて、ここに来ると勇気もらえますし背中を押されている風に感じますね」

山古志と神戸。震災をきっかけに交流が生まれました。2004年の中越地震。地震による土砂崩れで川がせきとめられ、智美さんのふるさと木籠集落は水に沈みました。地震のあと、支援物資を届けてくれたのが日吉町の住民たちでした。それを機に始まった交流。旧山古志村の長島忠美村長です。中越地震の翌年、震災から10年目を迎えた日吉町を訪れていました。

〈旧山古志村 長島忠美村長(当時)〉

「気持ちを通じところを大切にして復興計画を立てる必要があると思いました」

〈旧山古志村 松井智美さん〉

「阪神淡路で被災してその復興の形跡を足跡をみながら中越も復興していったと思うので、神戸の皆さんの活動というかその後の活動も山古志にすごい影響していると思います」

復興に向けて手を携えてきた山古志と神戸。優しく微笑む「わらべ地蔵」。山古志の木でつくられていて9体のうち1体が日吉町に置かれ地域を見守っています。

〈日吉町の住民〉

「被災者同士いうたら1いうたら1はいるわけ、その中で交流していって自分も楽になる、みんなも聞いた人も楽になる」

17日は能登半島地震の被災者の姿も…

〈石川県から〉

「なかなか先に進まなくて困ってます」

節目の日を迎え鎮魂の祈りに包まれた神戸。浮かび上がった「よりそう」の文字には全国各地で起きている災害で被災した人や街に寄りそい続けるという思いが込められています。

〈旧山古志村 松井智美さん〉

「中越が30年になった時、もっともっとすてきな景色が見られるように、お父さんに見たよって言えるようにしたい。きっとみんなで助け合いながらだったら明るい未来はきっと築けるはずだから、そういう景色をみんなにまだまだ先になるかもしれない ですけど子どもたちに見せてあげたい」

震災の記憶を分かち合う山古志と神戸。住民同士の交流はこれからも続いていきます。

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