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「腕相撲やろうか」米国刑務所に収監されたマサ斎藤 面会した長州力が驚いたひと言

東スポWEB 2024年6月2日 10時10分

【プロレス蔵出し写真館】今から40年前の1984年(昭和59年)5月11日、福岡で新日本プロレスの「’84IWGP」が開幕。シリーズに参加していたマサ斎藤とケン・パテラはトラブルを抱えていた。

2人は警察ざたを起こし、保釈金を払って来日していたのだ。

斎藤は「7月2日(現地時間)の裁判に出頭しないと家を没収される。保釈金は7500ドル(当時のレートで約170万円)払ったよ。痛いね」と明かし、一方のパテラは「マサには頭が上がらない。同じように7500ドル取られた」と頭をかいた。

マサ斎藤のエピソードとして有名な〝警官乱闘事件〟。APやUPI通信が記事を全米に流し、ある新聞には〝警官よプロレスラーに手を出すな〟と、面白おかしく大見出しを付けられた。

事件は同年4月6日に米ウィスコンシン州ワウケシャ(Waukesha)という小さな町で発生した。

マクドナルドでテイクアウトを求めたパテラが、閉店を理由に断られたことに腹を立て、店員とトラブルになった。パテラは大きな石を店のウインドウに投げつけたため、ワウケシャ警察が出動した。

斎藤は「夜11時ごろに町のホリディ・インにチェックインして、パテラとツインに泊まった。レストランはクローズしてたからバーで軽くビールを飲んでいた。近くにマクドナルドがあると聞き、パテラが食料調達に向かった。(戻って来た)パテラはトラブルを起こしたと言うだけで何も言わないんだ。すぐに隠れてしまった」

ほどなく、ドアをノックする音がしたという。

警官が2人、ひとりは女性警官だった。斎藤はパンツ1枚で上半身裸のまま。「ちょっと待ってくれ」。斎藤のひと言は、警察側には「逃げられる」と映ったらしく、手錠をかけようとしたという。

「婦人警官(当時の呼称)は痴漢撃退用の液体のスプレーを持っていた。右腕を後ろに取り手錠をかけようとする。そうすると腰の部分に硬いものが当たった。ピストルと思ったからはじき飛ばした。それが結果的にいけなかったようだ」(斎藤)

騒ぎを聞きつけて警察官の数が増える。その数20人(裁判の証言から)。隠れていたパテラも出てきて、大捕物が始まった。手錠をかけられる前に6人を吹っ飛ばしたが、結局は多勢に無勢。観念するほかなかった。女性警官は腰の骨を痛めて病院へ直行(パテラが壁に投げつけたと警官が証言)。一人の警官は斎藤に右足を折られたという。警官の負傷者は10人以上だった。

結局、陪審員裁判で行われた事件の判決は、翌85年6月5日に言い渡された。パテラは警察官への暴行と器物損壊の2つの重罪で有罪。斎藤は警察官への暴行、妨害と逮捕への抵抗と2件の重罪で有罪となった。州刑務所で2年、執行猶予6年。

米ウィスコンシン州の刑務所に収監された2人は、7月30日に同州ホーキンスの「フランブル・ステート・キャンプ」に移管された。

同キャンプはミニマム・セキュリティーで知られ、規則がゆるやかな強制労働刑務所。出所間近の服役者が収容されていた。森林の中央に位置し、相当の時間が伐採や荒れ地を耕す労働に当てられていた。

斎藤は面会に訪れた知人に「刑務所の狭い運動場やコンクリートの中で汗を流すよりも、はるかに気持ちがいい。特別に3人前の食事を許されているけど、働きは5人分以上だよ。出所出来たら、その晩からファイトできる。いつもよりコンディションはいいかもしれないよ」と語っていた。斎藤は受刑者たちに日本料理の作り方、筋力トレ、食生活の改善方法を教えることに協力し、その振る舞いが評価されていた。

服役中にジャパンプロレスの永源遙やタイガー服部レフェリーが訪れ、11月9、10日の2日間、長州力が服部レフェリー、大塚直樹副会長とともに面会した。

斎藤は差し入れの日本食をうれしそうにパクついた(写真)。長州は「毎日2時間近くトレーニングをしているらしく、体つきは前と少しも変わっていない。オレの顔を見るなり『オイ、長州。腕相撲やろうか。まだお前にゃ負けないぞ』と言われた時はビックリしたな」と明かした。

そして翌86年12月2日、斎藤は1年半の刑期を終えて出所。わずか3週間後の25日、米ミネソタ州セントポール大会でリング復帰を果たしている。

ところで、2016年(平成28年)8月、74歳になったパテラがこの事件について語り、投石したのは直前にその店を解雇された従業員によるもので、自分は偶然その場に居合わせただけで投石はしていないと主張した。事件当時には口にしなかった証言だったが、真偽のほどは不明だ。

さて、晩年の斎藤はテレビ解説で〝コア〟な人気を博した。一度斎藤に「オレの解説どう思う? ちゃんと伝わっているかな」。そう聞かれたことがあった。自由奔放にしゃべっている印象だったが、本人は自分のしゃべりを、ずいぶん気にしていたようだ(敬称略)。

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