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【桟原将司連載#33】阪神を戦力外通告…潮崎哲也さんとの縁で西武・桟原に

東スポWEB 2024年7月3日 11時9分

【桟原将司 ハナの剛腕道中(33)】野球選手の多くがそうだと思いますが万全の状態でプレーできる期間なんて本当に少ないものです。僕も例に漏れず故障に泣かされました。そういう弱い部分をカバーするために地道なトレーニングを行うのですが、僕の場合はそういうの苦手だったんですよね。

2010年9月10日のヤクルト戦(甲子園)でした。もともと痛めていた左膝を故障して翌日に出場選手登録を抹消されました。そのころはもう左膝には太ももから足首までテーピングガチガチという状態でした。

別の日に神戸の「ほっともっとフィールド」のブルペンで、シートを固定するために重りとして置いてあった鉄板を踏んでしまい、ふくらはぎを肉離れしたままごまかして練習していました。

もう練習でランニングもしていない状態です。投手コーチにはひた隠しでジョグくらいしかしてませんでした。で、膝を痛めたプレーですが三本間での挟殺プレーだったんです。ピッチャーゴロを捕球して、すぐに捕手なり三塁手に送球すればよかったんですが、本能的に走者を追いかけてしまったんです。

走ったこと自体が5日ぶりくらいでしたね。当時の阪神のルールとして挟殺プレー中の偽投(投げるフリ)は禁止。もうランナーしか見てなくて、パッと三塁方向を見たら新井貴浩さん(現広島監督)がもう目の前で、送球するには近過ぎるから走者を追いかけようとした時には、もうずっこけてました。

その時、僕はなんで転んだのかさえ分かってませんでした。後で映像で見たら滑ってるように見えて、完全に左足に力が入っていない状態でした。まあ走者をアウトにはできたから良かったんですが、胸を地面に打ちつけて苦しくて…。

でも、ただ転んだだけに見えるので、ベンチ方向を見て助けを求めてもトレーナーも来てくれないし、手もドロドロやし…。で、次のバッターにも投げてるんです。膝を上げた瞬間、痛ってなって、もう力も入らんくて。ど真ん中に抜けたスライダーを投げてしまいましたが、レフトフライで終わったんですけれど。

病院でMRI検査を受けた結果、後十字靱帯断裂でした。同年10月19日に大阪府内の病院で、左膝関節鏡視下によるクリーニング手術。その後、シーズンオフに球団からとあるホテルに呼び出され、育成契約か自由契約かを選ぶよう通告されました。

投球可能になれば、支配下登録してもらうという約束を球団にはしてもらい、育成契約を結びました。11年の6月にはファームの試合で実戦復帰。6試合無失点でトレード期限ギリギリの7月30日には支配下選手に再登録されました。ただ、もともとの背番号40は他の選手がつけていて79。これは寂しい気持ちになりました。

ただ、そのまま一軍登板はなく10月9日に戦力外通告です。その後、ある情報サイトでは12球団合同トライアウトに参加したことになっていますが、実はしてませんからね。この時点で当時、西武の編成プロ担当だった潮崎哲也さんから声を掛けていただいてました。

そのご縁もあって、11月24日には西武・桟原になっていました。

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