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猛牛魂が集結したアリゾナの宴 MLBに挑む岩隈久志のハートに火をつけた【平成球界裏面史】

東スポWEB 2024年7月7日 9時22分

【平成球界裏面史 近鉄編70】平成24年(2012年)2月、岩隈久志は米アリゾナ州・ピオリアで行われていたシアトル・マリナーズのスプリングトレーニングに参加していた。平成16年(04年)の近鉄消滅を機に楽天へ移籍。自らつかんだFA権を行使し、堂々と海を渡ってきた。

不安がないわけではなかった。前年には右肩の故障を発症。オフに地道なトレーニングで状態を回復させていたつもりだったが、探り探りの部分も多かったはずだ。不安を持ちつつもアピールしなければいけない立場。チャレンジャーとして弱音を吐くわけにもいかない日々を過ごしていた。

2月20日、岩隈は初のライブピッチ(シート打撃)に登板した。その際には近鉄時代からの恩師である久保康生氏から訪問を受けた。顔を見た瞬間、思わず涙をこぼしてしまった。

「クマがメジャーに挑戦するときには必ず応援にいくからな」。久保氏の有言実行がありがたかった。その夜は久保夫妻、近鉄の先輩でありメジャーリーガーとしての先輩にも当たる大塚晶文(現中日投手コーチ)氏らと食卓を囲み、野球談義に花を咲かせた。

大塚氏といえば、久保氏が近鉄の選手兼任コーチ時代からの1番弟子。岩隈は久保氏が引退後、近鉄の二軍投手コーチとして徹底教育を施した教え子ということになる。遠いアメリカ・アリゾナの地で行われた「久保ファミリー」の宴。猛牛魂が集結した夜だった。

岩隈は近鉄での若手時代、藤井寺球場から近かった久保氏の自宅を度々、訪れていた。自宅脇のガレージでバーベキューを開催するたびに久保夫人が、小さな体で大量の食材を仕入れ、手料理を仕込んでくれたことをもちろん覚えている。

余談だが、久保氏の自宅は米国から取り寄せた丈夫な丸太を存分に生かした構造で建築されている。建築にあたっては夫婦で材木を現地まで直接視察し、買い入れ。その上で時間をかけ、船便で日本に輸入したという過去がある。そして、その材木の産地はシアトルだった。

10年以上の時間を越えて、岩隈はシアトルを本拠地とするチームに移籍。当然、現地では自宅を探すことになるのだが、世話になったコーディネーターが偶然にも久保氏の材木取得を手配した女性担当と同一人物だった。

久保氏は「ホンマに何にも紹介したりしたわけじゃないのにね。こんな偶然ってあるか? これもご縁なのかねって驚いたなあ」と振り返る。

近鉄がつないでくれたご縁が、異国で挑戦する岩隈の心をいやしてくれた。そして新たに岩隈の心にスイッチを入れてくれた。近鉄時代から久保氏に指導されてきた言葉が心の中でよみがえったに違いない。

「ベストを尽くして結果が残らないことだったあるんですよ。でもね、目指すところ、野球がうまくなりたい、いいボールを投げたいと思って本当に真剣に取り組めているかどうかは自分が一番知っている。結果じゃなく、最も恐るべきは野球に真剣に取り組めていない自分ですよ」

岩隈は先発ローテーション入りすることなく開幕を迎えた。開幕後も出番がなく4月17日にはメジャー開幕ロースターに登録された全投手の中で唯一、登板のない投手となった。それでも、岩隈の心に秘めた「真剣さ」がなえることはなかった。

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