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JFA・宮本恒靖会長が語ったパリ五輪「OA不選出」とSNS問題「バズれば発奮材料にもなる」

東スポWEB 2024年7月11日 11時7分

〝ツネ様〟の見解とは――。26日開幕のパリ五輪に臨むサッカー男子日本代表の大岩剛監督(52)はメンバー18人を発表し、注目されたオーバーエージ(OA、24歳以上)枠の不選出が大きな波紋を広げている。そんな中、元日本代表キャプテンで日本サッカー協会の宮本恒靖会長(47)が本紙インタビューに応じ、今回のメンバー選考について言及。前編ではOA不在やパリ五輪世代でエース候補だったMF久保建英(23=レアル・ソシエダード)の〝不参戦〟について語った。

――どんな戦いを予想しているか

宮本会長(以下、宮本) 荒木(遼太郎=FC東京)は本当にアジア最終予選でも重要な働きをしていたし、Jリーグでも変わらず、彼らしいプレーを見せてくれているので、点を取るところではキーになってくる。三戸(舜介=スパルタ)とか斉藤光毅(ロンメル)、平河(悠=町田)は1人で局面を打開できる選手なので、そういうところを期待している。ぜひ世界の舞台でいろんな意味でチャレンジしてもらいたい。

――2008年北京五輪以来のOA不在

宮本 そういう意味で言うと、時代が変わって日本人選手のステータスも変わったと改めて感じますね。五輪はクラブの理解と協力があって初めて選手を呼べる。海外クラブに移籍することがごく普通になり、五輪に対する考え方が日本と違うこともある。五輪はもちろん、変わらずに大切なんだけれども、選手を取り巻く状況が昔とは全く異なっている。そんな状況でも協力してくれているJクラブには本当に感謝している。

――OAを選出できず戦力ダウンは否めない

宮本 ただ、違う見方をすれば直前(4月)にパリ五輪のアジア最終予選(U―23アジアカップ)があって、チームとして積み上げてきたのも事実だし、そこにOAが加わる難しさがあったかもしれない。それは自分たちも(00年)シドニー五輪で経験をした。まったく新しい選手であれば、難しかったと思うけど、フル代表でも同じコンセプトでトレーニングをしていたし、年の近い選手(三浦淳宏、楢崎正剛、森岡隆三)がOAになり(チームが)機能したところもあった。コンビネーションのところは大事なことなので。監督が呼んだメンバーが現時点のベストと思うし、代表チームというのはそういうものだと思う。

――主力の松木玖生(FC東京)は「移籍の可能性」という理由で招集できなかった

宮本 選手にとっては(海外)移籍もしたいし、国を代表して戦うことの名誉もある。それは1年ずれてもまた違う。国内外のクラブとすれば選手のコンディションやケガのリスク、新シーズンに向けたチームづくりなどを考えれば五輪に選手を提供する必要がない。それぞれの立場によって違いが出てくる要因ではないですかね。

――パリ世代のMF鈴木唯人(ブレンビー)や久保、GK鈴木彩艶(シントトロイデン)も招集できず、協会への批判も出ている

宮本 うーん。前提として五輪はFIFA(国際サッカー連盟)規則でクラブに選手をリリース義務がなく難しいところ。このタイミング(五輪)に備えて動いていたのも事実としてあったと認識しているし、ベストを尽くしてやるべきことをやってきたと思っている。1年前から動いていてもクラブでGMや監督が代わったり、直前に選手の移籍話が出てきたりする。個々の事情については話せないが、個人としてステップアップしていくというフェーズに日本もきている。

――ただ、選手が海外でプレーするのは日本のレベルアップにつながる

宮本 そこはいいことですね。たくさんの選手、しかも20歳にならないうちに海外に行くのは、全国の指導者が素晴らしい選手を育ててくれていて、間違いなく日本サッカーが正しい道を歩んでいるという証拠といえるでしょう。あとは活躍して、欧州トップクラブでプレーする選手が出てくる、その数が増えていくのが次のフェーズと考えているので。

――SNSで選手への誹謗中傷をA代表の森保一監督も懸念する

宮本 サッカーに限らず、今の選手は評価が気になって試合後すぐにケータイを見るらしい。SNSにはネガティブなところもあるけど、逆に力に変えてモチベーションにできるのも今の選手の強み。評価を気にするのもあるけど、選手を理解するポイントでもあり、あまりネガティブに捉えなくてもいいかもしれない。特に若い選手は「バズる」というのは発奮材料になることもあって、ポジティブな面もある。

☆みやもと・つねやす 1977年2月7日生まれ。大阪府出身。96年にG大阪ユースからトップチームに昇格。ザルツブルク(オーストリア)や神戸でもプレーした。日本代表は2000年に初選出され、71試合3得点。02年日韓、06年ドイツW杯に出場。11年シーズンで現役を引退し、13年にFIFAマスターを取得した。17年7月にG大阪の監督に就任。退任後は日本サッカー協会の専務理事を経て24年3月から会長を務める。176センチ、72キロ。

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