Infoseek 楽天

徳田虎雄さんの〝波乱の生涯〟保徳戦争、日本体操協会会長、猪瀬直樹氏資金問題…一代の風雲児だった

東スポWEB 2024年7月11日 13時11分

11日に訃報が伝わった元衆院議員の徳田虎雄さんは、医療法人「徳洲会」設立、政界進出と激しい政争、日本体操協会会長と徳洲会体操クラブ創部など、希代の風雲児と言える86年の生涯を送った。

10日夜、神奈川県内の病院で死去した徳田さんは、議員を務めていた2002年、64歳の時に筋委縮性側索硬化症(ALS)の診断を受けた。05年に政界を引退し、闘病生活を続けていた。

徳田さんは鹿児島県徳之島町出身。徳田虎雄顕彰記念財団のホームページによると、1975年に徳洲会を設立した。全国各地に徳洲会病院を開設し、日本最大級の医療法人に。83年の衆院選に奄美群島区から出馬するも、自民党の現職・保岡興治氏に敗れる。90年に保岡氏を破って初当選。奄美の激しい選挙戦は「保徳戦争」と称された。94年に政党「自由連合」を旗揚げし、村山富市内閣で政務次官も務めた。

その後、スポーツ界にも進出する。徳洲会体操クラブのホームページによると98年、「アトランタ五輪(96年)後に日本体操協会会長に就任した徳田虎雄・徳洲会前理事長が、体操ニッポンの復活と一流の人材育成をめざし」て同クラブを創設。04年アテネ五輪では所属の米田功、水鳥寿思が男子団体金メダルのメンバーとなり、米田は後に同クラブ監督も務めた。徳洲会は体操界でも一大勢力を築いた。

会長在任中の00年シドニー五輪は、アトランタに続いてメダルなしに終わるも、男子団体が前回の10位から4位へと戻し、アテネで復活への土台をつくった。だが連続メダルゼロに激怒した徳田さんは会長を退き、ジャスコ社長などを務めた二木英徳氏が引き継いだ。

13年、当時東京都知事だった猪瀬直樹氏側が徳洲会から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚し、問題化。猪瀬氏の辞任につながるスキャンダルでは、闘病中の徳田さんが目の動きから意思を伝える文字盤を通じて資金提供に関与したとされる。

徳洲会グループでは選挙違反や内紛も。徳田さんは清濁併せ呑む風雲児でもあった。

この記事の関連ニュース