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【菊地敏幸連載#4】「俺の最初の担当選手、絶対に頑張れ」山崎一玄に伝えた

東スポWEB 2024年7月12日 11時23分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(4)】誰にでも初めてというものはあります。阪神で26年間、スカウトとして活動の場をいただきましたが、最初に担当した選手というのは忘れられないものです。

私は1989年から阪神のスカウトとして在籍したわけですが、初年度は誰も獲得できておりません。当然、スカウトとして活動もしていませんし、独自の調査もできていません。先輩スカウトに付いて見習いからスタートしました。

私が初めて選手の獲得に携わったのは90年のドラフトからです。3番目で指名させてもらった投手の山崎一玄(かずはる=静岡高)。彼が私の第1号です。この年は全体を見渡しても高校生の指名候補選手が少なかった。当時の阪神は投手陣が手薄でしたし、チャンスはあるかなと思い獲得に動きました。

ドラフト会議当日、阪神は3位指名で高橋英樹(喜界高)を指名しました。ただ、こちらは広島と競合する形となり抽選で外れ。そこで山崎を指名し、独占交渉権を得ることになりました。本人ともご両親とも話をして「俺の最初の担当選手なんだ。活躍してくれないと俺の首が飛ぶから。絶対に頑張れ」と伝えた記憶があります。

モデルのようにスタイルも顔も良かったですね。実は阪神が獲得に動いた時には、東都リーグの駒沢大に進学が決まっているという情報もありました。ただ、それはもう断っていて山崎自身はプロ一本だと調査していました。プロ入りがかなわなかった場合は大昭和製紙への就職という道もできていて、静岡県を担当する某球団の先輩スカウトが「大昭和製紙にあいさつしておいた方がいい」と助言してくれました。

「すいません。情報がなかったもので」と現地に出向き、監督に筋を通しました。「本人がプロ志望なので指名してよろしいですか」とお伺いを立て、トラブルの芽を摘み取りました。

無事に阪神の一員となってくれた山崎。華々しい活躍とまではいきませんでしたが、一軍でローテにも入って頑張ってくれました。今でも本人からたまに連絡をもらうことがあります。3年目の93年に一軍初登板を果たし、先発もロングリリーフもこなすユーティリティーとして活躍。同年4月15日には球団史上最年少となる20歳8か月でセーブをマークしました。

94年6月15日の巨人戦ではプロ入り初完封も記録。ただ、この試合を全国中継で解説していた巨人OBの江川卓が山崎を酷評するんです。「山崎君が巨人打線を完封したら、僕は野球に対する見方を変えます」という物言いで序盤からずっと批判的でね。私もさすがにそこまで言うことないんじゃないのと思ったくらいです。でも、そのまま完封してくれた。うれしかったですね。

このシーズンは7勝を記録し規定投球回にも到達した山崎。引退後には打撃投手としてチームに長く貢献してくれました。最初に担当した選手として、よく頑張ってくれたなと思っています。

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