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作家・中平まみ氏 徳洲会を創設した徳田虎雄さん偲ぶ「こんな男もいるのかという驚きの連続」

東スポWEB 2024年7月12日 20時9分

日本最大級の医療法人「徳洲会」を創設した医師で元衆議院議員の徳田虎雄さん(享年86)が10日、入院先の神奈川県の病院で亡くなった。徳田さんは「自由連合」の代表として、国政選挙で著名人候補を多く擁立し、話題を呼んだ。2001年の参議院選挙に自由連合から比例代表で出馬した作家の中平まみ氏が徳田さんの思い出を寄稿した。

「あんたも十代の終わりか二十代初めのまだ何も分からぬ頃、結婚してしまえば良かったのに」

真っ青な空の下、車中で不憫を感じてだろう虎雄が私に哀惜にじむ口調で言った。

2001年の参院選に虎から要請され、徳州会東京本部で面会面談した時、辺りを放射し発散する虎光線に感じ入り、肝胆相照らすというが、この破格の人物には素直に自分を出せた。

私が破天荒な事を口にしても眉一本動かさず、卓球みたいに素早く当意即妙の受け応え。一緒にいるとこんな男もいるのかという驚きの連続。

四十七士にちなみ候補者を47人立て「国会の汚れを一掃し全取り替えしたい」。「犬猫不殺生!」を掲げた私の訴えに、ただ一人志茂田景樹先生だけ炎天熱暑猛暑下、選挙車に上がり力強いユニークな応援演説で集客。全員落選には相当懲りたはずだが、「後悔も反省もしない」「過去は全て正しかった」「一人の自殺者もなく選挙戦を終え喜ばしい」と虎は言った。

その電話が鳴ったのは出発前日「アンタがお行儀良くしてるなら、お母さんと二人島巡りに連れてゆく。最後のゆっくりした旅行。最後のセスナだから」に胸騒ぎを覚えた。虎はその前に難病ALS筋萎縮性側索硬化症が判明し、覚悟の最終旅であったのだ。矢継ぎ早に次々小さなセスナで5つの島々に降り立つ二泊三日は疾風怒濤の有り様で、母は腰痛悪化で名瀬に入院したほど。

「自分をこうまで突き動かすのは怒りと悲しみだ」という虎雄は獅子奮迅で日々常人離れの活動をしていたが、せっかくの得難い個性で「田中角栄に対抗出来るのは徳田虎雄だけ」と評されたが、周囲にいい人材がいなかった。

この人の人生は何と苛酷熾烈かと嘆息する思いで「一生ついて行こう」「できることなら何なりと」と。たまたま訪ねると怒りが爆発炸裂した直後で秘書がセッセと絨毯にぶちまけた水を拭いていたり。私は桃を持参し「怒ると体に毒でしよ」と卓上に置いた。

「何を食べてもおいしくて」という人が胃ろう人工呼吸声帯除去で車椅子。目で透明文字盤を指し示し秘書が音読読み聞かせ思いを伝えるようになった。

〝最後の良かった時期〟に遭遇し、ギリギリ駆け込み滑り込みセーフで壮健エネルギッシュな虎雄と、月日年月は短くとも圧縮濃縮された濃密な時を過ごした。マイフェアレディのヒギンズ教授さながら教育説教説諭もされたが、「救いの一言」で随分力づけ励まされた。

稀に見る尋常ならざる精神力生命力で何年間も堪え切り、抜け凌ぎ、我慢辛抱した虎に〝何とか新薬が出来て復調復帰してくれぬか〟とも願っていたが…。

復活甦り再生を信じる私は再び相まみえる日を心待ちにしている。野生のワイルドな虎は奄美王朝の酋長になって南方から熱い強い大風を吹かせるのもいいかもしれない。

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