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【菊地敏幸連載#7】亜大・山本和行からサヨナラ打!でも本人は今でも…

東スポWEB 2024年7月19日 11時4分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(7)】私が在学していた時代の芝浦工業大は運動部が強い時代でした。4年間で野球部は東都リーグ1部で2度優勝しています。バスケットボール、ハンドボール、スキージャンプなどが全国区で、日本一になるケースや五輪選手を輩出することもありました。

野球部の1学年上には1970年のドラフトで西鉄から2位指名された伊原春樹さん(元西武、オリックス監督=本紙専属評論家)もいました。とにかくレベルが高かったです。

東都大学リーグでは専大、日大、亜大、中大が圧倒的な優勝回数を誇る中、青学の5度に次いで芝浦工大が3度ですよ。ただ、当時の学生運動の影響もあり我々の母校は選手を獲ることをやめてしまいました。

ただ、そんなに強いチームにいても私には実績がないわけですよ。5番を打って亜大の山本和行(71年の阪神ドラ1)からサヨナラヒットを打ったくらいでしょうか。試合終盤は薄暮で行われていて、左翼手が僕の打球を見失ってポテンヒットになった。それがサヨナラ打になったんですが、私の名前が新聞に載るような活躍はそれくらいでした。

打たれた山本といえば、古くからの阪神ファンの皆さんにはおなじみでしょう。阪神で700試合、116勝、130セーブの大投手です。85年には中西清起とのダブルストッパーでリーグ優勝に貢献した左腕です。僕にとっては同級生ですから「大学時代のサヨナラ打のことを覚えているか?」と聞くと「覚えてるよ」とは言ってくれるんですけど、絶対に認めたくない雰囲気を出してきます(笑い)。

大学4年で野球部も引退する頃、捕手のレギュラーだった道原裕幸が広島のドラ1に選ばれ、ほかの連中はどんどん就職が決まっていったんですね。投手2人は東芝と三菱重工広島。セカンドは日本石油、ショートは東芝と決まっていくんですが、私がどこにも決まらない。

何とか明治生命、今の明治安田生命かな。そこに内定をもらって野球部もあったんですが、健康診断に引っ掛かってしまってね。再検査してもダメ。それで内定取り消しになってしまったんです。それが8月ごろでした。その後、9月になって別の病院で検査をしたら全く問題ない。どうやら夏場の厳しい練習の時期、疲れがたまって異常値が出ていたようです。

そんなタイミングで朗報が入りました。ミシンメーカーのリッカーが、ちょうど捕手を探しているという情報。大学では同期で広島入りした道原が捕手で私は一塁でしたが、もともとは捕手出身です。ほかにも対抗馬の学生捕手がいたようですが「僕の方がうまいです!」と猛アピールしてリッカーへの入社と野球部への入部が決まりました。

社会人野球では7年間、現役選手としてプレーさせてもらいました。都市対抗にはリッカーとして1度、あとは補強選手として3度出場させてもらいました。その後は3年間コーチとしてチームに残りました。

コーチ時代、最後に入団してきたのが中西清起です。阪神で守護神を務めたあの中西です。生意気でしたねえ(笑い)。高知商業で優勝投手になった中西がプロに行かずにリッカーに来るの? 何でリッカーなん!? 正直、そう思いました。

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