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「歌舞伎町一番街アーチ」を改修した賛光電器産業 屋外照明のプロが語った街路灯の未来

東スポWEB 2024年7月19日 18時13分

「眠らない町」の異名を持つ都内屈指の繁華街、新宿歌舞伎町。そのシンボルともいえる「歌舞伎町一番街アーチ」の改修を担当したのは、群馬・高崎市に工場を持つ賛光電器産業株式会社だ。全国の商店街に設置する街路灯・アーチも手がけている同社の寺本欣真氏、金井丈明氏に、“屋外照明器具の世界”を語ってもらった。

まずは、いつから街路灯やアーチを製造するようになったのか。

寺本氏は「もともとはアルミに塗装して看板を作る“看板屋”でした。高度経済成長期の直前、道路整備が始まって街路灯の必要性が増した1954年に、賛光電器産業として創業しました」と説明する。

また長年街路灯を生産する中で、商店街からの需要や工事内容の変化も感じているという。

「アーチは安全性の問題もあって、大きな繁華街を除いて撤去される傾向にあります。街路灯もかつては照明がいくつも付いていましたが、今は上に1つ、目線の高さに1つ設置した効率的なものが多くなっていますね」(金井氏)

「安全のために修理や建て替えも提案していますが、今はより工事基準が厳しいので…。建て替えの際に大きな穴を掘る必要があったり、別の場所に配置しなければならなかったりと、苦戦することもしばしばです」(寺本氏)

ただ、デザインを工夫した「装飾街路灯」の注文は増えつつあるとのこと。金井氏は2017年に手がけた「恵比寿ビール坂商店街」の街路灯が契機だったと明かす。

「ジョッキで乾杯するようなデザインは、商店街の方から提案されまして。実現したことで他の商店街や組合の方から『うちもやりたい』と依頼が入るようになりました。今はコロナも明けて、都内だけでなく各地方の観光地からも少しずつ相談をいただいています」(金井氏)

そして賛光電器の“代表作”ともいえる製品が、新宿・歌舞伎町一番街のアーチだろう。映像作品・ゲームにも登場するおなじみのものだ。

金井氏は「もともと同じ形のものが建っていまして、デザインはそのままに13年に建て直したのが現在のアーチです」と語る。

リニューアル時にはLEDへの転換、ソーラーパネルの設置など、技術を詰め込み、“新宿の象徴”になっている。その改修が会社にもたらした影響も大きかったそうだ。

「“名刺代わり”の事業にはなりましたね。誰もが知っているアーチを担当したことで、社の事業についても説明しやすくなりました」(寺本氏)
「他の企業と協力して製造する際にも、『“歌舞伎町”をお手伝いできるのね』といったお声はいただきます」(金井氏)

加えてこれまで手がけてきた街路灯にも意外な場所からの反応があった。金井氏が「商店街の街路灯は、街ブラや食べ歩きの番組でチラッと映るので、テレビで見たと指摘されることもありますね」と明かせば、寺本氏も「我々も街路灯がどこの製品かは見ていますから。うちの製品でない時は少しがっかりしますが(笑い)」と笑顔で同調した。

さらに近年のレトロブームで、昭和期の街路灯はジワジワと注目されている。金井氏によると「以前事務所の片づけをしていた同僚が、『過去のチラシをSNSに上げたい』と提案してきまして。『X』に画像を投稿すると、閲覧数は明らかに増えました」と“レトロ効果”を実感しているという。

実際に昭和50年代から製造された街路灯「SY」のミニチュアは、今年カプセルトイとして発売されることが決定。「過去には賛光電器といえばSY、という時代があったんです。最近はレトロファンの方からはもちろん、雑誌の撮影で街路灯を使いたいという依頼もありますね」(寺本氏)

しかし全国の商店街で活気が失われていることも確か。街路灯メーカーとしては苦しい状況なのでは? 寺本氏は「出入り口のシンボル灯だけ更新して他は撤去するという商店街もありますし、全体の需要では厳しい部分もあります」と告白。それでも「お手頃な街路灯のリースも提案していますし、ソーラーパネルの技術が向上すれば、環境にも費用面にも優しい街路灯が実現できると思います」と語り、再興に向けた可能性を示した。

また金井氏は「弊社はずっと商店街の皆さんと一緒にやってきましたから」と築き上げた関係性を重視。「技術の面で応援するだけでなく、商店街に足を運んでいただくための企画は考えていきたいですね」と今後も二人三脚で商店街と歩む意欲を見せた。

長年にわたって人々の暮らしを照らし、彩ってきた街路灯とアーチ。商店街を支えてきた両者に、“明るい未来”が広がることを願うばかりだ。

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