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ドリー・ファンク・ジュニア71年11月20日NWA王座ジャック・ブリスコとの名勝負数え唄

東スポWEB 2024年7月21日 11時11分

【昭和~平成スター列伝】“邪道”大仁田厚は8月24日富士通スタジアム川崎の「大仁田厚デビュー50周年記念大会」で、83歳のPWF会長のドリー・ファンク・ジュニアに対し、電流爆破マッチでの対戦を希望。しかし危険なデスマッチだけに弟子の西村修が「私が守る」と参戦が決定した。何よりだ。

83歳でなお現役のドリーは、1969年2月11日にジン・キニスキーからNWA世界ヘビー級王座を奪取。実に4年3か月も王座に君臨して一時代を築いた。同年暮れには初来日。12月2日大阪ではアントニオ猪木と両者ノーフォールのまま60分時間切れ引き分けの歴史的名勝負を展開。翌3日東京体育館ではジャイアント馬場と1―1から60分時間切れとこれまた名勝負を残した。

その後も防衛を重ねたドリーは、71年11月20日には当時抗争を展開していた後のNWA王者ジャック・ブリスコとミズーリ州セントルイスで防衛戦を敢行。外国人同士の海外王座戦ながら本紙は1面で詳細を報じている。

「現在の米マット界では最高のライバルになりつつあるジュニアとブリスコ。2人がまた王座をかけて激突した。実に17回目の対決。これまではジュニアの11勝5分けと問題にならない。それでもブリスコが17回も王座にアタックするのはNWAフロントに高く評価されているからだろう。先制攻撃を仕掛けたのはブリスコ。7分過ぎ、ジュニアがスピニングトーホールドを仕掛けるが、逆にブリスコはドロップキックからエアプレーンスピン11回転で先制のフォールだ。2本目はジュニアがスープレックス2発。フラフラ立った挑戦者はロープに逃げる。タックルしたジュニアはそのままロープの反動を利用してローリングクラッチホールド。鮮やかにタイに持ち込んだ。決勝ラウンド、ドリーはエルボーを打ちまくり、スープレックス、バックドロップと殺人技ラッシュ。動けなくなったブリスコを必殺のスピニングトーホールドで仕留めた」(抜粋)

ドリーはその後も防衛を重ねるが73年5月24日にハーリー・レイスにカンザスシティーで王座を明け渡す。そのレイスを同年7月20日にヒューストンで破って悲願の初王者となったのが、ブリスコだった。

ブリスコはNWA王者として74年1月から全日本プロレスに参戦。同年12月2日鹿児島で馬場に敗れ、馬場は日本人初のNWA王座奪取の快挙を達成した。しかし1週間後の同9日豊橋でリマッチに敗れ、ブリスコが王座に復帰している。

ドリー、BI砲、ブリスコと運命の糸に操られたような展開で、NWA王座が最も日本に近い時期だった。 (敬称略)

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