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太田海也 パリ五輪のメダルを引き寄せる”根拠なき自信”「自転車の天才だ、と思ってやっています」

東スポWEB 2024年7月23日 12時6分

1人だけの道じゃない。競輪選手の太田海也(24=岡山)はパリ五輪自転車競技トラック種目で代表に選ばれ、ケイリン、スプリント、チームスプリントの3種目でメダル獲得に挑む。ボート競技での挫折から一度は実家に帰り、ふさぎ込んだ日々…。そして出合った自転車がカイヤに奇跡の時間を与えた。先人たちが切り開いてきた道の、その先へ――。

――自転車への自信

太田 こんなことを言ったら怒られるかもしれないんですけど…(笑い)。幼いころから自転車に乗ったら世界で一番速いんじゃないかなっていう気持ちがあった。2、3歳のころにマウンテンバイクで山のコースを乗っていたと親からは聞いています。小学校の時にみんなで自転車で競走しても一番速かった。自転車に乗っていて楽しいし誰よりも速いし、誰よりも好きだった。地域の周回というか、団地がいっぱいあったんで、そこを勝手にコースにしてやっていた。敵はいなかったですね(笑い)。

――自信に満ちあふれている

太田 なぜかボートをしている時も自信があったんです。ボートの相手にも自転車乗ったら俺の方が速いけどな、とか思っていたんです。でも中野慎詞選手を見て、自分は才能ないんじゃないか、とか思ったりもして。新田祐大さんや脇本雄太さんとか見て最初は思ったりしたんです。でも幼いころから根拠のない自信を持って生きてきたので、大丈夫だ、自分は自転車の天才だ、と思ってやっています。

――中野慎詞選手は競輪選手養成所で121期の同期生

太田 同い年だけど、中野選手は養成所の時から日本代表に所属していて自分の中では新田さんや脇本さんを見る目線と変わらず“中野慎詞選手”を見ていました。

――どんな存在

太田 日々、一緒に練習できるようになって彼の強みも分かるし、弱みも分かる感じになっている。いい栄養、要素をもらっていて、彼を見て成長してきました。いいライバルだと思っています。その中で絶対に負けたくないと強く思っています。

――先輩たちの背中も見てきた

太田 新田さんや脇本さん、深谷知広さんやその前の先輩方が世界と戦えるぞという証明を何年も何年もし続けてくれてきた結果、次は僕たちが絶対世界で勝ちにいくというレベルにしてくれたことがスタート地点。そういった面でつながっていると思っています。

――日本ナショナルチームとしての連続性

太田 新田さん、脇本さんが東京五輪で戦った姿があるからこそ、勝ちにいく姿を今のチーム全体で見せられていると思うんです。前大会の五輪を、今大会で成功だったと言わせられるような結果を残したいです。

――アドバイスはもらった

太田 新田さん、脇本さんと近くにいてお話しする機会もあって、自分のことに集中することが何よりだ、と言ってもらいました。多くを聞くわけではないですが、その言葉を信じて、自分のパフォーマンスを上げることを一生懸命やっています。

――東京五輪の時は競輪選手養成所にいた

太田 養成所の一員としてみんなでテレビを囲んで見ていてオレンジの服のオランダチームがすごく強いな、という印象がありました。その人たちの速さを同じレースを走って体感してみたいな…。どんだけ速いのかな、自分がどんだけやっても絶対かなわない相手なのかな…と友達と話しながら見ていたんですよ。

――その3年後に五輪の舞台へ

太田 周りには「俺、パリ五輪出るから、頑張ってくるから」とか言っていたんですけど…(笑い)。強がりで言っていた部分もあるのでリアルには想像できていなかったですよ。

――自転車競技の前はボート競技で挫折があった

太田 ボートでも常に上を目指していたんですが、目指している場所と自分の実力が伴わなくなり、モチベーションが落ちていったんです。大会でも結果が出ず、自分の中では燃え尽き症候群というかオーバーヒートしていって言い訳として身長が低いとか手足が短いとか…。それで腰も悪くなってとか、弱い自分が出てきたんです。

――その弱い自分を払拭できた

太田 小さなころから本格的に自転車に出合っていたら持久力だったり自分の弱い心の部分だったりが強化されずに来たと思うんです。挫折したボートがあって1回ボートをやめて自転車ショップで働いた期間というのも、自分の筋肉と一緒のくらい高いレベルで実力に変わっていると思います。

――苦しい時期だった

太田 両親が反対している中で内緒で地元に帰ったので、叔母、祖父の家に行きました。両親は「やめるな、頑張れ」と言ってくれていたので…。

――サイクルショップで働いたことが大きな転機となる

太田 自転車に出合える大きなきっかけになったサイクルショップ“フリーダム”オーナーの恒次智さんは自転車の愛し方を教えてくれた人です。

――偶然、立ち寄った

太田 フリーダムは家から10分、15分のところにあって夕方になるとすごいおしゃれな自転車ショップがあるな、と外見にひかれていきました。もともとママチャリみたいなのに乗っていて、それからスポーツ自転車に乗ったけどそんなにいいヤツではなかったんです。

――欲しい自転車があった

太田 その時の貯金残高は全部で20万円くらいでした(笑い)。お金をためて買いました。

――そこからアマチュアの大会に出て競輪選手になり日本代表選手へ。あっという間に五輪が目の前

太田 五輪はすごいデカい大会で自分も目指してきたところなんですが、どう頑張っても緊張すると思うし、硬くなってしまうと思う。肩の力を抜いていければ。しっかりと自信を持ってパリの舞台へ行きたい。メダル獲得を目指して頑張る。

――パリ五輪のその先は

太田 28年ロス五輪のことを考える時もありますが、正直、パリ五輪以外のことは考えていないです。その先のことは終わってからじゃないと分からない。でも自分の人生をかけて自転車仙人になれるように頑張っていきたい。自転車はずっと楽しみたいですね。

【2000万円超の最新鋭バイクで挑む】日本代表チームは1台2000万円を超える最新鋭バイクで挑む。太田海也は「ジャパントラックカップまでにはフィットせず、使えませんでした。その後、試行錯誤して乗っていく中で明らかに過去より速いタイムを出せるようになってきました。レースを走ってからだけど、バイク自体に期待しています」と新しい相棒に熱いまなざしを向ける。

☆おおた・かいや 1999年7月27日生まれ、岡山県出身。174センチ、78キロ。岡山所属、121期の競輪選手。2024年の主な国際大会成績=ネーションズカップ第1戦ケイリン3位、スプリント1位、チームスプリント2位。ネーションズカップ第2戦ケイリン1位、スプリント1位、チームスプリント2位。

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