【ブル中野・告白(21)】2009年3月、プロゴルファーになることをあきらめ日本に帰りました。米国には9年くらい滞在。最後の1年くらいはプロレスでためたお金を使い果たし、両親に仕送りをしてもらっている状態でした。これで最後にしようと思ったテストで不合格だったので区切りをつけました。
1997年にプロレスを続けたいのにケガで辞めなくちゃいけなくなって、自分の中で腐っていたんですよね。実家に帰ったときは、コンビニにも行けませんでした。自分が載っていないプロレス専門誌を目にするのが嫌だったからです。レスラー仲間との連絡も絶っていました。プロレスを忘れるためにゴルフをやっていたので、うまくなるわけがないんですよ。今となっては失礼だったなと思います。
日本に帰ると両親から「もう何もしなくていいから」との言葉をもらいましたが、そう言われると何かしたくなる。近所にムエタイのジムがあり、中にリングが見えました。「懐かしいな」と思い、ちょうどダイエットコースで生徒を募集していたので通うことにしました。ここで今の夫(元ムエタイ選手の青木大輔さん)と出会いました。
彼が勝った試合の後にジムで祝勝会があり、彼が一番、お酒が強かったんですよ。私も強かったので、他の人たちが酔っぱらって寝てしまう中で2人だけが残って「また飲みに行こう」みたいな感じになりました。
交際期間は半年で10年2月に入籍しました。プロポーズの言葉は…なかったですね。「付き合ってください」とかも。両親と食事に行ったときに父が「2人で話がしたい」と彼を連れ出したことがありました。そこで「別れたらぶっ殺すからな!」と30分くらい言っていたみたいで、逃げられなくなったんだと思います(笑い)。
結婚により、気持ちの面が大きく変わりました。プロレスを辞めたときはどうしようと思っていましたが、プロレスをやってなくても生きてる価値があるんだなって確認できたのです。いろいろなことに前向きになったころ、知り合いから「お店をやらないか?」と言われ、東京・中野の居酒屋「中野のぶるちゃん」で雇われママみたいな形で働き始めました。
半年くらいでノウハウがわかったので、自分でやったほうがいいと思い、半年くらいの準備期間を置いて今度は自分でお店をやりました。プロレスをやっていたときは人を寄せつけないバリアーを張っていましたが、真逆のことをやりましたね。3000円のチケットを買って試合に来てくれた方に3000円以上のものを得て帰ってもらうのと同じです。
全てプロレスに当てはめてやっていました。こうして新しい道を歩み始めたのですが、また新たな苦難が訪れるのです。