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【菊地敏幸連載#10】契約更改でスカウトが保留なんて私が初めてじゃないですかね(笑い)

東スポWEB 2024年7月25日 12時39分

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(10)】大学から社会人野球のリッカーに進んで在籍10年。運動具小売店に1年、シミズオクトに3年間というのが私の社会人としての経歴です。その後に阪神のスカウトになるわけですが、これは私にとって4つ目の仕事となりました。

私の母校である法政二高で監督を務め、阪神のスカウトに就任していた田丸仁さんに、強引にスカウトしていただいたような形です。当時の年収より「阪神はもっと出せる」と言って引っ張ってもらいました。実際は給料ダウンだったのですが…。

田丸さんは異色の経歴の持ち主です。法政大学卒業後に法政二高野球部の監督に就任。同校を1960年の夏、61年春のセンバツで甲子園連覇に導いた指導者です。その後は母校・法大の監督をしていたのですが、64年オフに東京オリオンズ(現ロッテ)の二軍監督に就任しています。

66年の1シーズンは一軍監督も経験されていますが、プロ経験者ではない一軍指揮官というのは珍しい例です。その田丸さんが77年から阪神のスカウトとして活動され、そのご縁で私も同じ職に就くことになりました。

当時、私と同級生ですでにプロ野球を引退し、阪神のスカウトになっていた人物がいました。その同僚に契約年俸を聞いてみると、やはり私よりは高かったんです。最初から聞いていた条件とは違うのは引っ掛かっていたんですが…。ただ、私もまだ仕事もしていないのにモノを言えないわけです。

その2年後でしたかね。私が担当した選手をプロの世界に導いた実績を作った後、そのシーズンオフの契約更改で私はハンコを押さなかったんです。選手の契約更改で保留というのはよく聞く話ですが、スカウトがそんなことをしちゃった。ちゃんと調べたことはないですが、スカウトが保留なんて私が初めてじゃないですかね(笑い)。

そのころにはちょっとしたウワサとして、私だけスカウトの中で極端に年収が低いという話も聞いていました。やはりプロ経験がないということで低く抑えられていたのかもしれません。そうすると、球団があっという間に百何十万円かの年俸アップを了承してくれました。

今になって話せることですが、スカウトになったばかりの1年目ですかね。高知・安芸キャンプに行くといろんなものが見えてきました。どちらかというと二軍を見ることが多かったですが、がっくりというか驚がくの事実を目の当たりにします。

社会人野球を10年間、この目で見てきた私からすれば阪神の二軍には社会人野球の選手と比べても見劣りする選手が何人もいたんです。将来性を見込まれた高卒新人が在籍していることを見越しても、これはプロでは厳しいぞという選手が何人もいたことは事実です。

後からチェックしたところ、そういう選手は担当スカウトがだいたい同じなんですね。そこに深い闇を感じました。何らかの事情があったのかもしれませんし、個人名までは出せませんが、あしき前例というのは存在したはずです。

パッと見て社会人でもレギュラーになれないよという選手が5人も6人もいるチームが強いわけがない。私自身、社会人の指導者としてプロへ5選手を送り込んでいますから見れば分かります。

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