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岩隈久志 故障と戦いながらの金字塔 日米通じて初のノーヒットノーラン【平成球界裏面史】

東スポWEB 2024年7月28日 9時1分

【平成球界裏面史 近鉄編63】メジャー移籍4年目、平成27年(2015年)に岩隈久志は日本人メジャーリーガーとして球史に名を刻むことになる。このシーズン、岩隈は好調とはいえない状況だった。右広背筋を痛め、4月15日には故障者リスト入り。7月に戦線復帰しても、本来の姿を取り戻せない苦しいペナントレースを過ごしていた。

ところが8月12日のオリオールズ戦(セーフコ・フィールド)で〝確変〟が起こる。9回を3四球7奪三振で無安打無失点、日米通じて自身初のノーヒットノーランを達成した。これは岩隈にとってメジャー初完投であり、初完封だった。

日本人大リーガーではドジャース時代の1996年、レッドソックス時代の01年に野茂英雄が達成して以来、2人目、3度目となるノーヒッター。打者29人、116球を投げ三振7、内野ゴロ11(併殺1)、内野フライ2、外野フライ6というアウトの内訳に投球内容の工夫が垣間見える。高めのフォーシームと精度の高いスプリットで三振を、ゾーンの際で動くツーシームを有効に活用した。

ただ、この大偉業を8月にして達成しておきながら、この白星がようやく4勝目(2敗)だった。故障と戦いながら、不調と向き合いながら達成した金字塔だった。

岩隈はこのシーズンで34歳。剛速球でメジャーリーガーをねじ伏せたわけではない。技術と経験の積み重ねで成し得た記録だった。日米の野球のスタイルが違う中、練習法、調整法もメジャー流に順応させていく中で、うまくベクトルがかみ合った。

「周りの環境ではなく自分を変える。自分の実力以上のものは出せないことを知る」

体格差、身体能力の違いを受け入れ、メジャーの投手がいかにして中4日のローテをこなしているのか、自分の常識を壊し理解することに努めた。日本では中6日だった登板間隔でランニングに多くの時間を充ててきたが、ウェートトレや肩のインナーマッスル強化、体幹トレに時間を割いた。その上で早期回復のために休むというということを意識した。

感覚だけではなく、メジャーで結果を残している投手の調整法を実際に参考にしながら、アメリカで結果を残すための独自のメソッドを確立していった。

「中4日で先発しながら、100球という少ない球数で7イニング投げることを目安にゾーンを使ってアウトを重ねていく。162試合の長丁場の中でコンディションを平均的に保ち続ける」

これは一朝一夕には行かない。自身が近鉄、楽天で培ってきた日本流の投球術を、MLBで昇華させた末の到達点だった。

東京・堀越学園から、いきなり近鉄に来た岩隈にとって藤井寺球場があったエリアに馴染(なじ)むのには時間がかかったはず。大阪にあっても「河内」という大阪独特のコテコテの文化が存在する異空間。言葉のイントネーションもトークの習慣も違う異世界に順応しながら、同時にプロ野球選手としてのスキルもアップさせてきた。

若かりし日に「近鉄いてまえ野球」を経験したのであれば、異国でのMLBへの順応も難しい〝お題〟ではなかったのかもしれない。

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