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アントニオ猪木28歳、ジャック・ブリスコ29歳 未来と夢を抱きながら激突した71年8月8日

東スポWEB 2024年7月28日 10時31分

【昭和~平成スター列伝】前回はNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアと、後のNWA王者ジャック・ブリスコの抗争について触れたが、“燃える闘魂”ことアントニオ猪木はUNヘビー級王者時代、ブリスコの挑戦を退けている。

猪木は1971年3月26日、米ロサンゼルスでジョン・トロスを撃破して第6代UNヘビー級王者となった。猪木にとって初めてのメジャーシングル王座で“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーを筆頭に、ブリスコ、フリッツ・フォン・エリック、ディック・マードックら強豪を相手に4度の防衛に成功した。

ブリスコは67年11月に初来日。2度目の来日となった71年8月5日愛知県体育館で猪木との一戦が実現した。当時は「南部の麒麟児」と呼ばれたNWA王者候補で、米国ではちょうどドリーと抗争を展開している時期だった。本紙は1面で詳細を報じている。

「ユナイテッド・ナショナル・チャンピオン“若獅子”アントニオ猪木が真夏の太陽のように燃えて挑戦者ジャック・ブリスコを血祭りにあげ、2度目の王座防衛に成功した。猪木はブリスコをガッキと受け止め、1本目こそコブラ地獄をはずされ自滅(21分2秒、体固め)したが、2本目は久々に原爆固めを爆発させてタイに追いついた(7分6秒)。3本目も執念のアバラ地獄でギブアップさせた(1分37秒、アバラ折り)。猪木は前哨戦のタッグマッチでブリスコと何度も激突したが、そのたびにコブラツイストをはずされ、一度もコブラ地獄は成功しなかった。それだけにコブラが決まらなければ苦戦必至という声が圧倒的だった。猪木は周囲の雑音を封じるような猛烈ファイト。1本目でコブラをはずされたことが2本目の原爆固めに結びついて、最後は好結果を招いた。豊富な練習量と精神力が打倒ブリスコに結びついたといえよう」(抜粋)

その後、猪木はエリック、マードックを撃破して防衛を重ねるが、71年12月に日本プロレスから除名処分を受けたことにより、王座を剥奪されて退団。翌年の新日本プロレス旗揚げへと向かう。その後は“世界の荒鷲”坂口征二が新王者となり、日プロ崩壊後、ベルトは全日本プロレスに吸収され、現在の3冠ヘビー級王座へと至る。

一方のブリスコは73年7月20日テキサス州でハーリー・レイスを破り、第48代NWA世界ヘビー級王者となり、日本では全日本を主戦場に選ぶも、79年5月には猪木のNWFヘビー級王座に挑んで敗れている。71年のUN戦当時は猪木28歳、ブリスコ29歳。後にマット界を代表する名レスラー同士が、胸にそれぞれの未来と夢を抱きながら激突した歴史的な名勝負であった。 (敬称略)

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